東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

地面を耕す〜目的意識的実践は対象の構造に分け入らせる〜

2018-04-20 08:57:02 | 運動・鍛錬・リハビリ
地面を耕す鍛練を行った。体幹力の不足を痛感された。

昨日、久しぶりに地面を耕す鍛練を行った。久しぶりであるだけに、楽しく、いくらでも出来る、という感覚があったのだが、初回なので軽く20分間でストップした。

案の定、今朝は右腰の古傷の部分に軽い張りがあり、であったので初回は無理せず、が正解だったのだと。

今回の耕す鍛練を始めた理由は、春からの護身レベルの空手の学びに耐える体力を、という目的で骨鍛練を少しレベルアップして行って来て、それなりに骨が鍛えられて来たとの実感があったのだが、それで十分に闘えるのだろうか?と考えると、相手と直接に打つかる手足はそれなりに強靭になったとしても、それを支える体幹に力が無ければ何の役にも立たない、であろうとの思いからであった。

実際に耕す鍛練を行って、わずかに20分間の耕すで腰に張りが出た、それ以前に耕す時にも土台がフラつきであったので、このレベルの体幹力で空手の修業を、護身レベルとはいえ始めようとは、なんとも無謀な、と自身の不足痛感された。

それとともにそのことは目的意識的な実践があって始めて分かり得た、とその必要性、大事性痛感された。

長らく耕して無かったので、草ボウボウで、それだけにしっかりとした鍛練になったのだと思える。
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