五要穴と五行穴を覚えた。対象の構造に見合った学びかたの必要性痛感する。
鍼灸学校の課題で、五要穴と五行穴(と下合穴)を一覧表にしたものを覚えることを求められている。その一覧表では、十二経脈の五要穴と五行穴が一緒くたになって並べられており、例えば、陰経脈ならば「手の太陰肺経:少商(井木穴)〜魚際(榮火穴)〜太淵(兪土穴)〜太陰(原穴)〜経渠(経金穴)〜列欠(絡穴)〜孔最(郄穴)〜尺沢(合水穴)〜中府(募穴)〜肺兪(背部兪穴)」陽経脈ならば「手の陽明大腸経:商陽(井金穴)〜二間(井水穴)〜三間(兪木穴)〜合谷(原穴)〜陽渓(経火穴)〜偏歴(絡穴)〜温留(郄穴)〜曲池(合水穴)〜天枢(募穴)〜大腸兪(背部兪穴)〜上巨虚(下合穴)」というように並んでいる。
これらの一覧表を眺めていると、並び方にそれなりの規則性・法則性が見えては来る。例えば、陰経脈では末梢から三つ目が「兪土穴=原穴」、陽経脈では末梢から四つ目が「原穴」……というように。
しかしながら、この一覧表はなんとも覚えにくいもの(自身にとっては)であったので、五要穴と五行穴の歴史性を辿り返すことで覚えることを行えば、何かが見えて来るのでは無いか?と、やってみた。
具体的には、「五行穴」を『難経』の時代に生まれ、それ以前に、おそらく『黄帝内経』の時代あたりで生まれたであろう「五要穴」に重なる形でのものである、また「五要穴」を「三要穴(原穴、郄穴、絡穴)」+「二要穴(募穴、背部兪穴)」として、より具体的には、まず「三要穴」を覚え、それに重ねて、その上に「五行穴」を覚えた。また、「募穴、背部兪穴」は、別の流派の考えかたであるとして、別に覚えた。結果として、一覧表ではどうしてもスッキリと覚えること出来なかった五要穴と五行穴が、1時間程で覚えることが可能であった。(覚えかたを結論的には、先ずは、五要穴ならぬ三要穴をしっかりと覚えることが肝心であり、その上にの五行穴であり、それとは別にの二要穴である、と。)
これは、五要穴と五行穴がその歴史性として、一覧表のように平面的な構造では無くして、一重に見えるものが実は、五要穴(三要穴+二要穴)の上に五行穴が重なるという二重性(歴史性、立体的構造)を持っている、からその対象の構造に見合った学びかたが必要である、ということだと思う。
以上のこと大きくは、鍼灸(東洋医学)が、またあらゆる歴史性を持った物事が、一重のものとして現象していても本質的には、原点に歴史性を持って何重にもものごとが重なっていっての多重構造となっているから、見た目に騙されて一重構造として学んでしまうとその多重構造の持つ深みが学び切れないからの、その歴史を一身の上に繰り返す形での、その多重構造に見合った学びが求められることの理由である、と思える。
これは、別言するなら「個体発生は系統発生を繰り返す(でなければならない)」ということだと、ここは自身の手技療法術の学びの過程の事実を踏まえて改めて説きたいと思うが、例えば、武道において一定レベルの人間体力が無ければ武道の技が学びようも無いように、例えば、料理の基本が出来ない、知らないであってはレシピ集を見ても何のことだかさっぱりであるように、逆から言えば、複雑怪奇である人間の解剖生理も『看護の生理学(1〜3)』(薄井坦子 瀬江千史著 現代社白鳳選書)や「新・頭脳の科学(上・下)』(瀬江千史 菅野幸子著 現代社白鳳選書)の様に、その原点からの歴史性、重層構造を踏まえて説いていただければ、自身のような鈍才でも分かって行ける様に……。
鍼灸学校の課題で、五要穴と五行穴(と下合穴)を一覧表にしたものを覚えることを求められている。その一覧表では、十二経脈の五要穴と五行穴が一緒くたになって並べられており、例えば、陰経脈ならば「手の太陰肺経:少商(井木穴)〜魚際(榮火穴)〜太淵(兪土穴)〜太陰(原穴)〜経渠(経金穴)〜列欠(絡穴)〜孔最(郄穴)〜尺沢(合水穴)〜中府(募穴)〜肺兪(背部兪穴)」陽経脈ならば「手の陽明大腸経:商陽(井金穴)〜二間(井水穴)〜三間(兪木穴)〜合谷(原穴)〜陽渓(経火穴)〜偏歴(絡穴)〜温留(郄穴)〜曲池(合水穴)〜天枢(募穴)〜大腸兪(背部兪穴)〜上巨虚(下合穴)」というように並んでいる。
これらの一覧表を眺めていると、並び方にそれなりの規則性・法則性が見えては来る。例えば、陰経脈では末梢から三つ目が「兪土穴=原穴」、陽経脈では末梢から四つ目が「原穴」……というように。
しかしながら、この一覧表はなんとも覚えにくいもの(自身にとっては)であったので、五要穴と五行穴の歴史性を辿り返すことで覚えることを行えば、何かが見えて来るのでは無いか?と、やってみた。
具体的には、「五行穴」を『難経』の時代に生まれ、それ以前に、おそらく『黄帝内経』の時代あたりで生まれたであろう「五要穴」に重なる形でのものである、また「五要穴」を「三要穴(原穴、郄穴、絡穴)」+「二要穴(募穴、背部兪穴)」として、より具体的には、まず「三要穴」を覚え、それに重ねて、その上に「五行穴」を覚えた。また、「募穴、背部兪穴」は、別の流派の考えかたであるとして、別に覚えた。結果として、一覧表ではどうしてもスッキリと覚えること出来なかった五要穴と五行穴が、1時間程で覚えることが可能であった。(覚えかたを結論的には、先ずは、五要穴ならぬ三要穴をしっかりと覚えることが肝心であり、その上にの五行穴であり、それとは別にの二要穴である、と。)
これは、五要穴と五行穴がその歴史性として、一覧表のように平面的な構造では無くして、一重に見えるものが実は、五要穴(三要穴+二要穴)の上に五行穴が重なるという二重性(歴史性、立体的構造)を持っている、からその対象の構造に見合った学びかたが必要である、ということだと思う。
以上のこと大きくは、鍼灸(東洋医学)が、またあらゆる歴史性を持った物事が、一重のものとして現象していても本質的には、原点に歴史性を持って何重にもものごとが重なっていっての多重構造となっているから、見た目に騙されて一重構造として学んでしまうとその多重構造の持つ深みが学び切れないからの、その歴史を一身の上に繰り返す形での、その多重構造に見合った学びが求められることの理由である、と思える。
これは、別言するなら「個体発生は系統発生を繰り返す(でなければならない)」ということだと、ここは自身の手技療法術の学びの過程の事実を踏まえて改めて説きたいと思うが、例えば、武道において一定レベルの人間体力が無ければ武道の技が学びようも無いように、例えば、料理の基本が出来ない、知らないであってはレシピ集を見ても何のことだかさっぱりであるように、逆から言えば、複雑怪奇である人間の解剖生理も『看護の生理学(1〜3)』(薄井坦子 瀬江千史著 現代社白鳳選書)や「新・頭脳の科学(上・下)』(瀬江千史 菅野幸子著 現代社白鳳選書)の様に、その原点からの歴史性、重層構造を踏まえて説いていただければ、自身のような鈍才でも分かって行ける様に……。