鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

生理解剖学から解剖生理学へ〜目に見えるものから目に見えないものへ〜

2017-07-12 08:01:21 | 解剖生理学・その他
『看護の生理学』読み返している。その説きかたに感心させられる。

鍼灸国試へ向けての学び、東洋医学に関わる部分は、国試に合格するレベルという観点からは、ほぼ全体が理解出来てきて後は直前に過去問集で仕上げれば良いのではと思える。それ以外の部分で、「関係法規」「医療概論」「リハビリテーション医学」「はりきゅう理論」等は暇を見つけて教科書を一読しての過去問集で、と考えている。

となると、残るは「解剖学」と「生理学」なのだが、その学びの基礎的な実力を培うためにとの思いから、『育児の生理学』(瀬江千史著 現代社白鳳選書)を読み返し、現在、『看護の生理学』(薄井坦子 瀬江千史著 現代社白鳳選書)を読み返しはじめたところである。

『看護の生理学』はこれまでに、何度も読み返している著作なのではあるが、そして、読み返す度に新たな発見のある著作であるが、今回読み返しはじめて気づかされたのは、その説きかたが、まず構造として説いて後はたらきが説かれるのであるが、構造=解剖学として説かれるときにはアバウトに生理学が説かれ、はたらき=生理学が説かれるときには解剖学を踏まえて、解剖学としてアバウトに説かれた生理学がより深くかつ詳細に、構造に分け入って説くという形で説かれている。

これは、(生理)解剖学から(解剖)生理学へであるだけでは無しに、人類の認識の発展としての目に見えるものから目に見えないものへということでもある、と思える。

『看護の生理学』では、生命の歴史を踏まえて解剖生理学を説いている、あるいは、対話=旧弁証法という形式で説かれている、というだけでは無しに……と、そのスケールの大きさに驚かされる。

それとともに、そのことが難関な解剖学、生理学の理解の理解をおおいに助けてくれている、と思える。引き続き『看護の生理学』に学んでいきたい。

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