鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

目に見えないものを視ること、書くこと〜脈診は何を視ているのか〜

2019-08-26 06:43:04 | 覚え書(2)
目に見えないものを書くこと(目に見えるようにすること)の大事性困難性。

我々の施術で考えても、目に見えないものを見ることは大事性なことである、というよりも、そのことを抜きにしては病の実態(これも目に見えないものである)に迫れない、ゆえにまともな施術が可能となって行かない。これは自身の事実で考えてみれば......。

それだけに、人類はその努力をしてきた。それのみならず、目に見えないものを視たものを、言語化し、書くということに努力してきた。例えば、アリストテレスのτὸ τί ἦν εἶναι(トティーエーンエイナイ)。

それゆえに、個としての我々も、人類の系統発生を繰り返す(ヘッケル)べく努力するのが、まともな道筋である、と思える。それは、労苦というレベルの作業ではあるが......。

そのような先人の労苦の結果として、文化遺産というものが存在する。我々はその恩恵にあずかっている。

しかしながら、我々はうっかりすると、先人が苦心惨憺して掴みとってきたもの、文化遺産を、あるものとして知識として簡単に貰ってしまう(から、本当には役に立てられない)。

例えば、経絡経穴もそうであるし、蔵象というものもそうである。

脈診も、そのような観点で、目に見えないものを、どうにかして視ようとして、そのことを定式化しようとして苦心惨憺して誕生させられたもの、捉え返してみると......。

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