鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

東洋医学の病気観〜東洋医学に「あらゆる病気に共通な筋道」はあるのか?〜

2017-12-27 13:53:05 | 鍼灸理論・東洋医学
東洋医学に「あらゆる病気に共通な筋道」というものはあるのか?と考えてみる。

12月の中旬から体調を崩してなんとか持ち堪えていたのが、先週末に鍼灸学校が冬休みに入った気の緩みからか、発熱するところまで行ってしまった。

せっかくの機会なので、「あらゆる病気に共通な筋道」ということを自身の事実で考えてみるとともに東洋医学に「あらゆる病気に共通な筋道」というものがあるのか?と考えてみた。

当初は、東洋医学にはそれはある、例えば、一般的には『黄帝内経』に、『傷寒論』(張仲景)ではそのより構造的な展開が、と思えた。

が、具体の病気で考えてみると、風邪や感染症あるいは熱中症等ではある程度までは、と思えるが例えば精神の病となると「外邪が表から裏に次第次第に侵入して行き......」というのは、無理があると思えた。

否、東洋医学では、五臓(六腑)に精神の働きもあると考え、例えば「肝、心、脾、肺、腎」がそれぞれ「魂、神、意、魄、志」の精神活動を担っている、とするのだから、外邪が五臓(六腑)まで至って、精神が病むのだとするならば、何の不都合も無い!との反論もあるのかもしれない。

しかしながら、そう考えるならば東洋医学としては筋が通るのかもしれないが......もしかしたら、観念論的な筋道としてはそれで良いのかもしれない、と思うけれども......その筋道で実際の精神の病にどこまで......とも思う。

否!東洋医学というものは、そもそもが病に至る以前の異常のレベルを何とかして行くことにその本領があるのだから、病気の筋道としては無理があるとしても、病気へ至るまでの筋道が確かであれば、治療の指針となるものであれば、それで良いのだ!との再反論もあるか、とも思う。

これは、対象は同じ病気(病人?)であっても、対象の中の対象とするものが違うのであるから、そこに求められる筋道は違って良いのだ、という反論であるかと思う。

そう考えるならば、自身の手技療法で考えて見れば、それはその通りである、手技療法には手技療法の対象への関わりかたがあるのだから、それに見合う形での対象の側面を捉えての人間の捉え方であり、病気の捉え方、筋道であるべき、と思えるので......。

ここは引き続き考えていきたい。

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