鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

中学校の全教科の論理的な学び直しの必要性〜弁証法の実態をなすものとは〜

2016-03-15 23:46:17 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
 三月に入って漸くに昼間の気温が二十度近くまで上がる日がでてきたので、土台力を衰えさせないための朴歯の高下駄で歩くこと行っている。

 昔々、自身の大学生時代でも武道・武術を学ぶのでもなければ珍しかった朴歯の高下駄だが、現在ではまず見かけることがない。そればかりか現代の歩道や駅、ショッピングセンター等ほとんどの建築物の床は、下駄では、雨で濡れたら危険なほどに激しく滑る。つまりは、朴歯の高下駄どころか下駄ですら、過去のものということであろうか。 

 しかし、である。実際に履いて歩いてみればわかるように、朴歯の高下駄は、ただ歩くだけで下肢の骨、神経、筋肉を同時に鍛えることができるのである。
 そしてそれは、狭義の手技療法術の実態である人間体の肝心の土台の強化に直接につながるのであるから、こんなに素晴らしい履物は他にはない。と思う。

 鍼灸等の、道具が技の大部分を構成するものと違って、自身の人間体が直接に技の実態そのものである狭義の手技療法術においては、自身の人間体の実力をいかにして保持するか、いかにして少しでも向上させるかが大問題であるし、体力の衰えが手技療法術の実力低下へと繋がっていきかねないだけに、朴歯の高下駄を日常的にと思う。

 さて、本日の「中学校の全教科の学び」について。
 これまで、必要であると思いながら現実には真面目に取り組まないままに、十数年の年月が経ってしまっている。

 今回、「南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第九巻」(現代社)を読み返すなかで、弁証法の学びにとっての中学校の全教科の学び直しの必要性を説いていただいている。早速に、理科の教科書から目を通したのであるが、そこから前に進まない状態である。

 これは、十数年前に南郷先生が、中学校の全教科の論理的な学びが弁証法をものにするためには必須である。と説いていただいているのを、初めて読んだ時以来、ずっとそうである。南郷先生に、大事なことである。と説いていいただきながら、何故!?・・・・・・である。

 しかしながら、今回「南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第九巻」を読み返して、漸くにして、その説いていただいていることがイメージできた。と思う。
 そのことで、自身の弁証法が、なかなかに実力あるものとなっていかないのは、この部分の欠落にあるのだと思えた。これは例えば、貧弱な人間体のままでは、武道武術の上達がありえない。ということと認識と実体の違いはあるが、同じことである。と思う。

 詳細には、改めてと思うが、「意志はそのもののうちに理論的なものを含む」(ヘーゲル)のだから、弁証法の構造というものを真面目に捉え返しての、中学校の全教科の論理的な学び直しに取り組んでいきたい。
 
 

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