東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

整体・カイロプラクティックについて〜根本の考えかたを問う(実例1)〜

2016-08-08 17:15:34 | 覚え書
昨日は、東洋医学・鍼灸の定説がその根本のところで依拠する考えかたを問うことの必要性を説いた。

その実例を整体・カイロプラクティックで。

整体、カイロプラクティックは、それぞれにいろいろな事実的な説明がなされており、それを実践する立場の人々にとっては、「自分のはカイロプラクティックであり整体ではない。」とか「カイロプラクティックと一言に言っても様々な方法があり、自分のは〇〇カイロプラクティックで✖️✖️カイロプラクティックとは違う。」等等の主張があるが、自身は、それらの論理的共通性としては「骨格の歪みの矯正」ということである。と捉えている。それゆえ「整体・カイロプラクティック」あるいは「整体=カイロプラクティック」と表現している。

その整体・カイロプラクティックについて、「一瞬にして症状が消失する素晴らしい技」との評価がある反面「ズレが癖になる。」や「頸部の矯正は、脳梗塞のリスクを上げる。」「神経の損傷の事例がある。」等等の否定的な意見もある。

それらの意見は、どれもが物事の事実的側面を述べただけのものであるから、主張する事実はそのとうりかもしれないが、反面、相手の事実的な主張への反論とはなり得ていない。

それゆえ、ここでは、「その定説がその根本のところで依拠する考えかたを問う」ことがどうしても必要となる。

では整体・カイロプラクティックが「その根本のところで依拠する考えかた」とは何であろうか?と考えると、「歪みが原因だから歪みを直せば良い。」という単純なものでしかない。と思う。

しかしながら、事故等による骨格の歪み以外の多くの歪みは、通常、それなりに長い期間をかけて骨格の歪みへとなっていっているものであるし、その原因となるものもそのままに続いて存在する場合が多いものである。

であるから本来なら、その量質転化、相互浸透を問題としなければならない筈である。にもかかわらず、通常の整体・カイロプラクティックは、その根本のところで依拠する考えかたが、「歪みを矯正して終わり。」であるから、矯正してもまた歪んでしまうということの繰り返しになって、矯正することが返って歪み易くするということになっていってしまう場合すらある。ということにもなりかねない。

これは、定説の根本のところで依拠する考えかたを問うことを怠った当然の報いである。と思う。
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