鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

鍼灸問答(1)〜東洋医学とは何かのプロローグ〜

2019-03-03 22:39:18 | 鍼灸問答
  生徒
 先生!質問があります。東洋医学とは何ですか?
  先生
 君はいきなり難しいことを聞いてくるなあ。う〜〜〜ん......そうだなあ......。
 君はどう思うのかね?
  生徒
 はい、自分ではよくわからないので質問させていただいているのですが......。
 自分では、東洋医学というのは西洋医学と違った、何か神秘的な、西洋医学では治せないような病気も治してしまうような......すばらしいものだと思えます。
 例えば、整形外科を受診してもなかなかに治らなかった五十肩や腰痛が鍼やお灸でウソのように治った、と何度か聞いたことがありますし......。
 そんな素晴らしい効果のある東洋医学なのですが、その治療の理論を聞くと、肩を治療するのに大腸や小腸を治療するとか腰を治療するのに膀胱や腎臓を治療するとか、あるいは気だとか経絡だとか陰陽論だとか五行説だとか......ということになって......。
  先生
 うん。なるほど、そういうことか。要するに、君の言いたいことは、「鍼灸、つまり東洋医学の治療の効果は素晴らしいのに、その理論、つまり東洋医学はといえば、良く言えば神秘的な、悪く言えば非科学的迷信のような......」ということかね?
  生徒
 はい。そうです。東洋医学、つまり鍼灸の理論というものが、どうも良くわからないというか......非科学的と言うか......。
  先生
 さて、どう答えたものか......。
 まず、東洋医学と言うものは、一般的には君が科学的と思っている西洋医学と何ら変わるところのないもの、つまり医学であって、病気の治療と診断のための理論である。
 もっと言えば、人間の健康に生きている状態の理論と、そこから病気になっていく過程、病気になってしまった状態の理論、そしてその病気から回復していく、させていく過程の理論。つまり、人間の生理、病理、治療の理論であって、これは医学である以上、洋の東西を問わないものである。
 ......東洋医学とは何かとか、西洋医学との違いとか、いきなり難しく考えてしまうから何が何だかわからなくなってしまうのだよ。
 まずは、東洋医学であろうが西洋医学であろうが、大きくは、「病気の治療のための理論」と言うことを押さえて、そして、西洋と東洋の違いは、それぞれの大元となる治療手段、治療実践の違いとそれを理論化するための哲学、思想の違いによって全く別物と思えるほどに違ってくるのだ、と思って学んでいけば良い。
  生徒
 先生の言われる、東洋医学も西洋医学と同じ、「治療の為の理論」と言うことはわかるように思うのですが、治療手段、治療実践によって、理論が違ってくると言うところが良くわからないのですが......。
  先生
 それは当たり前だ!君はまだ鍼灸学校に入学したばっかりなのだから、陰陽論、五行説も、天人合一も、要するに東洋思想、哲学も分からない、経絡、臓腑等の東洋医学実践のための理論も分からない......のだから、そんなことがわかる筈がない。分かったとしたら、それは頭デッカチに言葉として、知識として分かっただけの事でしかない。
 だから、まずは東洋医学の大元の思想、哲学を学びつつ、鍼灸の実践を積み重ねていけば、いずれは「東洋医学とは何か」が実感としてわかるようになっていく。
 然は然り乍ら、一般的にくらいは答えておかないと、逃げたと思われるから......(笑)
 東洋医学とは観念論的に言えば、人間の正常な気(血)の循環が乱されていって、病んでいく、あるいは病んでいる状態と、その病んだ状態を気(血)の流れを整える事で病から回復させて行く過程を統一して究明して行く学問である。
 ......と言われても、今の君には何のことだか分からないだろう!?いや、分からなくて当たり前なんだけれども。
 まずは、毎日の授業をしっかり受けて3年間勉強してみたまえ......今日の質問は良い質問だったよ。今年の新入生は、やる気満々だって聞いていたけど......まあ、しっかり頑張りたまえ!私は次の授業があるので!(そそくさと立ち去る)
  生徒
 はあ......ありがとうございました。
 




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1 コメント

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Unknown (匿名希望)
2019-04-11 10:03:23
今春から学校に通いだした鍼灸の新一年生です。
昨日、一年生の全教科書を受け取って予習に励んでいましたが素直に教科書を読んでいくほどにブログ主の説いていることが「?」という感じで問題として浮上してくるように思われました。
このブログのタイトルはブログ主が敬愛する三浦さんの『弁証法いかに学ぶべきか』と南郷さんの『武道の理論~科学的武道論への招待』に由来していると睨んでいますけれど、タイトルに問われている「如何に学ぶべきか」に対するブログ主の自らの行動をもって示す回答は「教科書(基本)に忠実に学ぶのではなく初学者の頃から独自的・独創的な学びを発揮せよ!」ということになるかと思われました。
それだけこのブログの流れは教科書の方向性とは異質のものがあると感じられましたし、そうした独創的な視点を発揮しながらの学びは謂わば「天才的な学び」と呼んでいいものでしょうからブログ主が天才的な能力を持っているかどうかは兎も角も、それで国試という一つの大きな目標をクリアできているわけですから少なくともブログ主個人にとってその学び方は間違いではないのだと思われます。
いずれにしてもこのブログの展開を介して学校で使われている教材が如何なる順番で何を問うているのか鮮明になってきたことを初学者として喜ばしく思います。
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