鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

教科書に学ぶことの大事性〜目次にその論理性を視る〜

2017-12-31 15:21:16 | 鍼灸学校での学び・国試勉強・受験勉強
 教科書(鍼灸学校の)の目次を視ると、教科書に学ぶことの大事性、痛感される。

 『医学原論(上巻)』(瀬江千史著 現代社)の「第二章 第八節 教科書を使わない医学教育の弊害」では、
  「教科書を使って学ばせるのは、まずタンスをしっかりとつくらせ、それぞれの引出しに、セーターならセーター、シャツならシャツ、靴下なら靴下をしっかりと分けて収納させていくやり方である。
 それに対して、それぞれのプリントで学ばせるのは、最初にタンスをつくらせることをしないため、セーターやシャツや靴下が、段ボール箱に詰め込まれ、あちこちにその段ボールだけが、うずたかく積み上げられていくようなものである。必要な時に必要なものが、素早く正確に取り出せるのがどちらかは明らかであろう。段ボールの山積みでは火事にでもなった時、きちんと必要な衣類を取り出すことは不可能なように、緊急を要する患者の場合、以上のようなていたらくでは、どんな診断・どんな治療になるかは、一目瞭然というものである。」

 と、教科書に学ぶことの長所、教科書に学ばないこと(流行のプリントで学ぶこと)の短所をわかりやすい例え話で説いていただいている。

 それを読んで、自身の鍼灸学校の教科書の目次を改めてしっかりと読んでみた。目次を視ると、どの教科書もそれなりに論理的に?整理された形での章立てになっていることに、かつ同じ筋道で説こうとしているということに、驚かされる。
 例えば、『はりきゅう理論』の教科書の目次を見れば、まず「第1章 概論」として鍼術・灸術の定義がなされ(一般論)、それに続く「第2章 鍼の基礎知識〜第8章 リスク管理」では、鍼灸の用具や刺鍼、施灸の方法等が述べられ(現象論)、「第9章 鍼灸治効の基礎〜第11章 関連学説」では、鍼灸の治効理論や関連学説が述べられる(構造論)といった、<一般論><現象論><構造論>という形式を持った章立てとなっている。

 それゆえ(そこに説かれる内容はともかくとして)立派な<タンス>が教科書には存在するのだということが見て取れる、と思え、あとは、内容が不足であると思えるならば、引出しの中に入れるものは、自身で創り上げていけば良いだけのこと、とも思えた。(内容のレベルに比べて目次の章立てだけが論理的なことが、何故なのか?との大きな疑問であるのだが……)

 国試勉強という意味では、教科書というものの素晴らしさに気づくのが遅すぎた、とも思えるが残り2ヶ月間、国試問題を学ぶ中で、しっかりと教科書に帰っての学びを行うことで、自身の鍼灸学校での三年間の学びを整理していきたい、と思う。
『はりきゅう理論』の目次が特に素晴らしいと思えるが、他の教科書の目次も総論や概論という一般的な章から始めて個別、具体の章へとか、同じ筋道で説いていく説きかたとか、その論理性に驚かされる。

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