鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

『あたらしいせいかつ1・2(上・下)』を読む〜筋を通して読む学び〜

2019-08-02 08:45:09 | 日記
『あたらしいせいかつ1・2(上・下)』に目を通した。筋を通して読む学び、ということ、何となく......。

「弁証法が使えるものとして分かるには、自然・社会・精神という世界全体が分からなければならない、それらの事実を筋を通して分かるということが必須である。

そのための第一歩は、中学校の全教科を、特に理科と社会を筋を通して読むことが大切である。」

と、かねてより南郷先生は説いてくださっている。

そうであるだけに、何年にもわたって何度も中学校の教科書、特に理科と社会には目を通してきたのだが、筋を通して読む、ということが出来ない、というか分からないままに来ている。

ところが、今回、小学校の低学年の理科と社会の教科書である『あたらしいせいかつ』を、そのような観点で読んでみると、筋を通して読むということが、何となくであるが分かりそうな気がしている。(分かりそうで分からない、分からないようで分かりそう、というなんともモドカシイ感覚なのではあるが......)

これは、おそらく、中学校の教科書では、自身には、自身の実力では事実が多すぎる、ということであったのだと思う。

さて、そのように自然・社会・精神の事実を、筋を通して分かるということが(なんとなくであっても)イメージ出来てみると、そのことの意義が見えてきたように思える。

具体的には、その作業は人類の歴史では、古代ギリシャ後の現代に至るまでの物質的(事実的?)究明の発展、深まりの二千年?の年月の繰り返しであるし、ヘーゲルのエンチュクロペディの執筆のための学びであるし......。

そのように考えていると、絵の学びにおいても同様の学びが必要なのではないのか、世界のあらゆるものを絵にしてみるということが、と思える。

これは、鍼灸でいえば、あらゆる病を鍼灸で治療してみる(観念的にも含めて)ということであろうか。

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