東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

東洋医学の学びは如何にあるべきか~観念的実体創出の必要性

2015-10-24 08:44:27 | 鍼灸理論・東洋医学
東洋医学の授業受けた。学び方の大事性痛感する。

東洋医学の授業。病証を覚えることが、東洋医学の学びであるかの観を呈している。

しかしながら、それでは東洋医学クイズと何が違うのだろうか?国試には、それで良いかもしれない。

しかし、である。果たしてそれで、未知の病に対応して行けるのだろうか?ここで言う未知の病とは、正体不明の難病というレベルの病を言うのではなく、未だ診断のつかないという意味で未知の病である。

その時々の症状から、知識的に当てはめて、証を立てる。という事が東洋医学の診断というのならば、現代の知識的秀才であると批判されている、西洋医学の医師の診断と本質的には何も変わらない。と思う。

そうではなくて、東洋医学的なアタマの働きを技化しての、陰陽五行論を土台として、五臓六腑、経絡、気血津液等が、あたかも実体として存在するが如くに見て取れるアタマを創っての、患者の診断をなし得る実力が必要なのではないか。と思う。

例えば、武道において、相手を見ただけでその実力を見て取ることであり、相手の隙を見て取れることである。と思う。

その為には、現在の学校での学びの如くの、単なる知識的学びで終わってしまうことであってはならないと思える。ここは、学校での学び以降の自身の問題と逃げれ無くもないのだが、、、。

ついでに言えば、かくの如き実力を持って、患者を望ただけで診断をくだすことが、昔日の鍼灸・東洋医学の達人が可能であっただろうところの、いわゆる望診なのではないか。と思える。

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