鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

最先端の解剖生理学を学ぶ意義〜人間の解剖は猿の解剖のための鍵である〜

2015-10-16 11:32:29 | 解剖生理学・その他
 鍼灸学校で何故に解剖学・生理学を学ぶのか?と改めて問い返すと、「人間の解剖は猿の解剖のための鍵である」(マルクス)との言の偉大性痛感する。

 素直に考えれば鍼灸は東洋医学の一分野で、西洋医学とは別の理論体系を持っているのだから、東洋医学の学びと鍼灸の実技の学びをすれば十分であり、一般教養として西洋医学を学ぶことはあっても、それ以上の西洋医学の学びは不要である。とも思える。

しかし、である。現在の鍼灸学校のカリキュラムでは、東洋医学の学びと同じ次元での、平行しての、西洋医学(解剖学、生理学、病理学等)の学びを行なっている。これは、真面目に考えれば大変な事である。と思わねばいけない筈、と思う。

 何故なら、一方の授業で説かれる事と他方の授業で説かれる事とが全く相反しているということすらが、往々にしてある筈である。から。例えば、(西洋医学の)解剖・生理学の授業では精神活動は脳の働きであると教わり、同時に、東洋医学の授業では精神活動は脳には(ほとんど)無い(心が主る。)と教わる。

 確かに、西洋医学、東洋医学の両方の学びは必要なのではあるが、これで、生徒は真面目に授業を受ける事ができると鍼灸界の指導者層は考えているのだろうか?

 その疑問に対して東洋医学・鍼灸系の教員からは、「実際に、西洋医学的発想で治療してうまくいかないものが、東洋医学的発想で治療すると効果がある場合がある。」と、要するに「治療効果が正しさの証明」との決まり文句を述べるだけである。しかし、これはなんら正しさの証明!とはなり得ないと何度か説いている。端的には、100回正しくても、101回目に正しいかはわからない。のだから。

 本来ならば、「人間の解剖は猿の解剖のための鍵である」との言に学んで、東洋医学をわかるために、最先端の西洋医学を学んでいかねばならない。鍼灸・東洋医学界の常識のように、猿は猿、人間は人間としてしまうのではなしに、マルクスの説くが如くに(その原型はヘーゲルにあるとのことだが)、立体的に、歴史性あるものとして両者を学んでいかねばならないと考える。
 また、「人間の解剖は猿の解剖のための鍵である」という言の意義の、より深められたものが<生命の歴史>ではないかと思える。<生命の歴史>の繰り返しの学びと論理的事実を持つための実践を!と考える。

 

 

 

 

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