東洋医学の理論~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

「天人合一思想」の学び〜集団としての学びの意義〜

2015-05-10 11:05:53 | 鍼灸理論・東洋医学
 「天人合一思想」を学びました。集団として学ぶことの大事性実感しました。

 東洋医学概論の学びの初日に「人体の見方の大元になる考えかた」であるとして「天人合一思想」について先生より説いていただきました。
 
 「天人合一思想」とは天地自然の大宇宙に対して、人体を小宇宙として捉え、人体の形と機能とが天地自然と相応していると視る考えかたである。
 例えば、昔々の中国のでは、腎臓と空豆とは形が似ているから腎臓と空豆には関係があるのだ、空豆を食べることで腎臓に不足しているものが補われると考えられていたが、それも「天人合一思想」がもとになった考えかたなのだと説いていただきました。

 それに対しての自身の思いは「ああ、あの『天人合一』ね!」と過去に読んだ数冊の東洋医学のどの本にも、「天人合一思想」は東洋医学の人間観の大元になるものだと説かれていたことが想起されるのみで、「天人合一思想」にかかわっての思い・考えはそれ以上には深まって行きませんでした。

 ところがそんな自身と違って同級生諸氏の反応は、居眠りを始めるもの、ポカンとしてしまうもの等々様々でしたが、大多数の思いとしては「迷信や宗教の類!」「こんな事が何かの役に立つのか?それよりはいっそ国試対策を!」等々の否定的な思いであった様に思えました。後で同級生の何人かと話してみたら「そんな考えかたもあるのかと思った。」「アメリカだったら根拠の無い考えと相手にされない」「一週間で一番つまらない授業」「女の子は占いとか好きだし、東洋医学の考えかた好きかも」等々で、自身の想像する同級生の認識は実際に近いものであったと思えました。

 そんな同級生に対して、東洋医学の学びの始めにおいて、またその考えかたの大元になる「天人合一思想」について、「よく分からない」「迷信・宗教の類」「役に立たない」等々の否定的な思いを持ったままでは、東洋医学・鍼灸の学びは中途半端なものになって行ってしまう。それではあまりに勿体無いとの思いから「天人合一思想」は迷信・宗教の類として捉えるのではなく、それを唯物論的にとらえ返せば、そのいわんとするところは本当のことなのだし、自身の鍼灸治療にも役立てて行けるものになるのだとの思いから以下の如くに説きました。
 
 「天人合一思想」が言っていることは、人間はマンガやSF小説でよくある様に、宇宙のどこかから地球へやって来たものでは無くて、自然と人間はもともと同じもの・一つのものであったものが分かれて行ったものでしかないのだから、自然と人間には関係があるし、関係があるものと考える必要があるし、関係を持ち続けなければならないということだ。
 例えば、人間の体温には日内変動のリズム(サーカディアンリズム)が存在する。体温は一日中同じではなくて、昼の2時から4時ぐらいが一番高くて、夜中の3時4時くらいが一番低い。
 これはこの前TVで「不眠で悩む人で早朝に運動して体温を上げて、昼からは運動をしないという生活をしている人を、サーカディアンリズムに従って昼の本来一番体温の上がる時間帯にしっかり運動をして体温を上げる様にしてやると睡眠がしっかり取れるようになった。」という実験をやっていたけれども、こういうことも「天人合一」と考えて生活を整えてやることであり、その有効性の証明なのだ。と「天人合一思想」は迷信や宗教の類ではなくて、現実の持つ法則性を古代中国の人々がそれなりに捉えたもので役に立つ・立てられるものだと言うこと説きました。

 また、「天人合一」が現実の持つ法則性であることを本当に分かるには、「生命の歴史」(『看護のための「いのちの歴史」の物語』 現代社)の理解が必要なのだとは思うのですが、「生命の歴史」が「天人合一思想」の構造論となるのだとは思うのですが、そこを同級生に分かってもらえるように説けるだけの実力が自身には無く、説くことには説いたが・・・・・というレベルで終わってしまっています。

 以上の「天人合一思想」にかかわっての自身の認識の変化を振り返ると、自身の認識は自身の認識だけでは深まって行けない、発展出来ないのであり、自身の認識に反するものがあっての、それを変えて行こうとしてはじめて発展・深化があるのだと思えます。それが集団として学ぶことの意義の一つなのではと思えました。
 また、以上のようなプロセスを自分一人でも辿れる様に成っていくことの努力が、弁証術の学びなのでは無いかとも思えました。

 今回の記事は、予告していたものをアップ出来ないままに数日が過ぎるうちに、これでは不十分との思いが強く成って来て今朝一から書き直したものです。それ故、予告していたものとは表題も若干変わっています。悪しからず・・・・・。
 

 

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