鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

四月の学び総括〜今後の課題〜

2015-05-11 06:00:00 | 解剖生理学・その他
 四月の学びで記事にしたもの以外について簡単にまとめて、今後の課題も上げておきます。

 実技では、鍼灸のもう一つの柱である灸について学びました。灸は学校で学ぶ以前にも自身でも行なっていたのですが、授業で艾柱の理想的な形状、その作り方、線香の持ちかた、火の付け方と丁寧に教えていただくことで、僅か一ヶ月で格段の進歩ありました。詳しくは改めて論じる予定ですが、伝わっているものをしっかりと学ぶことの大事性、また独学には如何に無駄が多いかということ実感しました。

 学科では鍼灸理論の時間に、鍼尖の形状について学びました。鍼尖の形状には、スリオロシ形、ノゲ形、卵形、松葉形、柳葉形があると学びました。鍼尖の形状は技の形そのものなので、その形状に見合った刺鍼の技があり、逆に技のあり方から鍼尖の形状が決まって来るという相互規定性を持つものと思えます。
 そういう観点から、鍼尖の形状の歴史的変遷と刺鍼技の歴史的変遷を対比させて視て行くと、鍼術の歴史的携形態が視えてくるのではと興味を持ったのですが、現状、その資料は見つからず今後の宿題となっています。
 また、古代九鍼についても、名称、形状、使用法について一般的に学びました。

 臨床心理学の時間には、その歴史について、またその対象について、心の病を持った人であり、その原因の大きなものにストレスの積み重ねがあるということ、ストレスの結果として社会生活が送れなくなるほどにまで心身の状態がなって行った場合に異常であり、その異常の深まりによって病にまでなって行くものであるということ学びました。
 また、ストレスによって異常へとなって行かないための、壊れないための心の働きとしての様々な形態としての「防衛機制」(抑圧、逃避、合理化、否認、退行、反動形成、置き換え、昇華、投影、補償、同一化、打ち消し)についても学びました。ここは認識論の問題として、例えばストレスとは如何なる像なのか?ととらえ返しておくことの必要性感じます。(今回の画像は臨床心理学の時間に学んだ錯視の画像で、実際は直線の画像が膨らんで見えるというものです。このことについても「人間の認識は問いかけ的反映である。」という観点から、機会があれば論じたいと思っています。)
 
 東洋医学概論に関しては「陰陽五行論」等まだ論じておくべきことあると思いますので改めて論じます。

 解剖生理学については履修免除となっているので、当初は全科目受講のつもりだったのですが、それでは5〜6時間睡眠の日が週5〜6日になってしまうので、まともな頭脳活動、運動が不可能であると考え履修免除の科目は素直に免除を受け入れることとしましたので、夏休み等まとまった時間の取れた時に、「看護の生理学」「新・頭脳の科学」「ナースが視る人体」等を使って自学自習をしようと考えています。

 漸くにして、学校と仕事の両立のペースも摑め、ブログもどうにかこうにか開始することが出来たので、日々ほんの僅かづつでものレベルアップを目指しての全力を尽くす日々でありたい、そのためのブログとしていくとともに、その実践を踏まえてのブログの継続でありたいと決意しています。よろしくお願いします。
 

 


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