鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

「医学の復権」読了〜鍼灸・東洋医学の学びの1年間の総括と今後の予定〜

2016-03-10 06:00:00 | 鍼灸理論・東洋医学
 「医学の復権」(瀬江千史著 現代社)を読み終えた。鍼灸・東洋医学を学問レベルで学ぶとはいかなることかが、しっかりと繰り返し説いて(解いて)いただいている。と思えた。

 昨春の鍼灸学校入学時より、自身にとっての未知の世界である鍼灸・東洋医学を学ぶにあたって、どうせならば、これまでの自身の弁証法・認識論等々と手技療法術の学びの総決算として、それらの学びを踏まえての科学的鍼灸論の構築を!
 そして、そのことで、弁証法・認識論等々の自身の実力化と手技療法術の一層の発展を!との思いで、この1年近くを取り組んできた。また、その内容の一端をブログに書いてきた。

 ブログで、あれこれと鍼灸・東洋医学について論じる中で、まずは、現在の鍼灸・東洋医学の全体像と原点である東洋医学=「黄帝内経」の全体像を、それなりに描いての学びの必要性を感じ、前者の学びとしての、かつての鍼灸学校の教科書である「旧・東洋医学概論」のまとめと、後者の学びとしての「よくわかる黄帝内経の基本としくみ」(左合昌美著 秀和システム)と「霊枢概要」(新麹斎著 ヒューマンワールド)を読むとともに、両著の著者である左合昌美先生の勉強会に参加させていただいた。

 現在、「旧・東洋医学概論」の学びは、「気の病理と病証」の項でストップしてしまって、「黄帝内経」の学びは、「霊枢概要」を素読レベルで読了し終えた段階であるが、「医学教育概論(6)」(瀬江千史・本田克也・小田康友・菅野幸子著 現代社)を読み、「医学教育概論(1)〜(6)」で説(解)かれる中身を、自身の実力とすることで、その実力(一般教養?)で、鍼灸・東洋医学を捉え返すことで、科学的鍼灸論というものが見えてくるのではないか!?との思いで学び始めた。

 その「医学教育概論」の第1課で、読むことを勧めていただいている「医学の復権」を読み終えた。
 この書は、21年前の出版当時に読んだ時には、ただただ難しい!との感想しか持ち得なかったのであるが、そして長い間、手つかずのまま本棚に眠っていたのであるが、現在の読後の感想は、「自身の専門を学問化するとはいかなることなのか?そのための研鑽はいかにあるべきなのか?が、しっかりと丁寧に、かつ、これでもかというほどに繰り返し説いて(解いて)いただいている。」別言するならば、「学問の完成された姿と、そこへ至る道筋が説かれ(解かれ)ている。」である。

 そこに説かれ(解かれ)ることが如何なるものかは、是非お読みいただきたいと思うが、少し紹介すると、「そもそも科学的学問体系とは、学問としての本質論をふまえての体系的構造、すなわち本質論・構造論・現象論が確立されていなければならない。だがこれは、あくまで学問としての完成形態であり、その構築の過程的構造に立ちいれば、科学的であるからにはいきなり本質論が措定されるはずはなく、自らの実践によって対象たる事実の構造に分けいり、そこから導きだされた論理を現象論から構造論、そして本質論へと理論化し、体系化していくこととなる。」
「医学体系の骨子は、端的には『病とは何か』と『治療とは何か』が二本の柱となる。そのためには、まず正常な人間の解剖学を基底にすえて、ヒトとしてのではなく、人間の生理学を弁証法的に解明し、次に正常から変化した異常の状態である病を対象とした病理学を正常生理学の延長線上において措定し、かつ両者を統一体においてとらえ直したうえでそれらを相互浸透において究明し、かくしてのち、治療法の確立をはかることが可能となり、結果として両者の統一のうえに医学が学として構築されるのである。」等々と説いて(解いて)いただいている。
 学問というものに興味のある方、東洋医学を真の学問としたいと志す方には、是非に。と思う。
 
 21年も前に説いて(解いて)いただいていることに、今になって漸くにであるので、内心、忸怩たるものがあるが、「医学の復権」で説いて(解いて)いただいていることを、鍼灸の理論として、現実化すべく努力しつづけることが、自身のなすべきことである!と・・・・・・。

 今後、なるべく早い時期に、「旧・東洋医学概論」のまとめによる現在の東洋医学の全体像と「黄帝内経」に学ぶ鍼灸・東洋医学の原点の全体像の提示を!と予定している。

 
 
 

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