鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

「医学の復権」に学ぶ〜鍼灸の科学化に必須なもの〜

2016-03-04 06:13:39 | 鍼灸理論・東洋医学
 「医学の復権」(瀬江千史著 現代社)を読んだ。そこには、鍼灸の科学化に必須のものが、しっかりと説かれてある。と思えた。

 現在、「医学教育概論(1)〜(6)」(現代社)のゼロからの学び直しを始めている。
 その第1課で、「ただできれば、著者の一人瀬江千史が著した『医学の復権』(現代社)『看護学と医学(上巻・下巻)』(現代社)を読んでほしいと思います。そのなかでは、そもそも学問体系とは何かをわかりやすく説き、学問体系が実践とどう関わるのかを、医学と看護学を比較しながら論じています。」と説いていただいているので、早速に、「医学の復権」を読み始めた。

 そこには、本当の学問体系とはいかなるものかが、そしてその学問体系を構築するためには、いかなる研鑽を積まなければならないのかが説かれる。また、現代医学は、学問体系からは程遠い、知識の大系でしかないということが説かれてある。
 そして、それらのことは、過去に鍼灸の科学化に取り組んだ人々が成功しなかった、真の理由である。とも思えた。

 例えば、鍼灸の科学派と言われる人々の一人に、代田分誌がいる。彼は、その著書「鍼灸治療学基礎」(医道の日本社)の中で、古典に対する態度として、「我等は現今科学時代に生まれ、科学教育を受けたものである。その我等が科学的知識を捨て去って古人がなしたように古典をそのまま信じるということは、なかなか容易な話ではない。・・・(中略)・・・いくら荒唐無稽と思われるような事でも、先ずは一応は信じてかかるのである。そうして之を生ける人体に合わせて実験し、死物の古典をもつて生ける活物の人体を読んで、古典の深意をすっかり体得してから然る後に現代科学をもつてこのいける事実を批判し、そこに伏在する科学的真理を探り求めなければならない。」と自身の鍼灸の科学化の方法論を述べている。

 この代田分誌の態度は、歴史的に伝えられている技の学びとしては、概ね正しいと思える。では、何故に、代田分誌の研究は、科学的鍼灸論として結実しなかったのか?何が不味かったのか?が問題とされねばならない。

 端的には、そもそもの、「科学とは何か」の理解が、加えて、「科学的な学問体系を創出するための学び」が欠けていたからである。より具体的には、「そもそも科学とは、事実から論理を導きだし、一般的法則にまで高め体系化した認識である。」(「医学の復権」)という科学の理解の欠如であり、そのことを理解し、現実化していくだけの「一般教養」の学びの欠如である。と思う。

 代田分誌の業績についての検討は、いずれ機会があれば。と思うが、ここで述べたいのは、代田分誌個人の問題では無しに、かつて鍼灸の世界に存在した科学派といわれる人々の代表としての代田分誌であり、代田分誌に代表される科学派の人々が、鍼灸の科学化に取り組んだけれども、科学的鍼灸論として結実することが無かった。
 そしてそれは、その時代の時代性として、「科学的」という言語表現は使うものの、本当の意味での「科学とは何か」も「科学的な学問体系創出への道筋」も、分かっていなかった、分かりようが無かったからであり、結果として、その努力が科学的鍼灸論構築のための、正当な?努力となり得無かったからであり、現在、鍼灸の世界で多数の人々が信じている如くの、鍼灸が、科学の埒外にあるからでは決してない。ということである。

 またそれゆえ、「科学とは何か」も「科学的学問体系創出への道筋」も明らかにされている現代に鍼灸を学ぶ我々は、治療効果のあることが鍼灸の正当性の証明である。として逃げてしまうのでは無しに、正面から科学的鍼灸論の構築のための努力を成し続けるべきであるし、そのことは後生としての我々の責務である。ということを「医学の復権」を読むことで、再認識した。ということである。
 死ぬまで全力を尽くしていきたい。と思う。

 

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