東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

東洋医学という名の自動車で……(改訂)〜東洋医学如何に学ぶべきか〜

2017-07-02 05:13:50 | 鍼灸理論・東洋医学
『夢講義(3)』で弁証法の学びについて説いていただいている。東洋医学の学びもそういうことなのでは無いのか、と思える。

『なんごう つぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への"夢"講義(3) 看護と武道の認識論』(南郷 継正著 現代社白鳳選書)で、弁証法の学びかたを自動車の運転に喩えて説いていただいている。詳細は是非に「第四編 第二章 講義録「弁証法の上達の構造を問う」」を読んでいただきたいが、簡単には、弁証法の学びを自動車の運転そのものと考えて良いのだと、自動車の運転の例で説いてくださっている。

例えば、「自動車の運転というものは本で運転の仕方を読むだけではダメで、仮にそれを全部丸暗記レベルで覚えることが出来てもほとんど意味が無いのであって、肝心なことは実際に運転出来る実力を培うこと」であるとか、「自動車の運転では自動車のドアを開け乗ったら必ずドアを閉めるが、弁証法でも同じくドアを締めなければならない。何故ならば、自動車のドアを閉めないで走れば自動車から落ちて大怪我をしてしまう様に、弁証法という自動車も乗ったら必ずドアを閉めて走らないと、弁証法から落ちてしまうからである。ただ、弁証法の運転は観念の世界の話であるから、弁証法から落ちても怪我をしないから、逆に弁証法から落ちてしまっているのに自分だけは弁証法を運転しているつもり、という滑稽なことになってしまう。」等々である。

そこに説かれている弁証法の学びかたを東洋医学の学びかたとして読んでみると、それは「東洋医学如何に学ぶべきか」であるし、東洋医学の学びの誤ちに気づかされ、ゾッとするはずの内容である。少なくとも自身はそうである。

東洋医学が専門外のかたのために『夢講義(3)』で説いていただいていることを、簡単に東洋医学の問題として読んでみると、例えば、「東洋医学の学びは教科書や文献の学びでは無くして、実際に東洋医学的なアタマの働きを駆使して、簡単な病気から難病と言われる病気までを見事に治す」ということであると読めるし、「東洋医学という自動車に乗ってドアを閉めて走らないから、東洋医学から落ちてしまって西洋医学的、あるいは自身の経験論的に考えて治療してしまっているのに、自分だけは東洋医学としての治療をしているつもり、という滑稽なこととなってしまっている」ということでもある。と自身には読めた。『夢講義』に引き続き学んで行きたい。

(読み返してみると読みづらいので、改行?した。)
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