日本内経医学会談話室で、渋江抽斎の「霊枢講義」の一節としての「霊枢」経水篇にたいする渋江抽斎のコメントが紹介されている。
渋江抽斎のコメントのつけかた、痛快との思いする。そこに説かれる大陸の人々に対する観察、今に通ずるものがあると一人で爆笑してしまった。
コメントを付けることのイメージが広がった。
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「第2章 東洋医学の人体の考え方 2)五臓六腑(蔵象)」では、前説として「蔵象」の由来が説かれる。
要約すると、古代中国、戦国時代(紀元前400年ごろ、蔵象という考え方の成立の数百年前)には、すでに体内の臓器が体表部の五官や手足の筋肉などど緊密に関係しているとの考えがあり、そこから、内蔵が人体の生理的病理的現象や精神活動の中心となるものとしてとらえる「蔵象」という考え方へと発展していったと . . . 本文を読む
「看護の生理学」(薄井坦子 瀬江千史著 現代社)再読した。東洋医学のための生理学の必要性痛感される。
「対象とした人間の健康状態について『看護の立場からの判断力』を高めるためには、『看護とは何か?』という専門性から光をあてた人間の見つめ方が必要であり、そこにおのずから医師や医学者とは違った視線の広がりと深さが要求されてきます。
看護にあっては『人間を全人的にとらえるとは、何をどのように見詰 . . . 本文を読む