K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

「アリの目」と「トリの目」

2010-05-09 23:00:37 | 論理/思想/理論
物事を分析する際、二つの視点が必要だというのはよく言われることである。
一つは、「アリの目」(=ミクロの視点)であり、
もう一つは、「トリの目」(=マクロの視点)である。



まず、「分析」とは何か。
端的に言えば、それは「分けて考える」ことである。
人間は問題全体をそのまま捉えることができない。
何らかの視点から、問題を複数の要素に分けて、要素間の関係性を見なければならない。
この問題の裏に隠れた要素間の関係性(すなわち「構造」)を明らかにすることが「分析」である。

したがって、いかなる分析にも「視点」が必要である。
視点がなければ切り口を見つけることが出来ず、
結果として構造を見出すことができないからである。
そして、ここで必要になるのが、「トリの目」なのである。
全体を俯瞰しつつ、どこに切り口を入れれば問題の構造が見えるかを探る。
仮説を立てる、と言い換えてもよい。

そして「トリの目」に基づいて、ミクロに深堀りしていく。
それが「アリの目」である。
当然深堀りする段階で、それが間違っていたり、近視眼的になったりすることがしばしばある。
そこで、行き詰ったなら、また「トリの目」を使って全体をみる。
そしてまた「アリの目」を用いて問題を掘っていく。
このように「トリの目」と「アリの目」をバランス良く使っていくことで、
問題構造が「見える」ようになるのだ。

大切なことは、自分が今どちらの目で見ているのかを認識しておくこと。
「トリの目」で見るときは、できるだけ全体を俯瞰する。
問題の諸要因を可能な限りモレなくダブりなく見る。
その上で、怪しいところに当たりをつけていく。
一方「アリの目」で見るときは、徹底的に一つの視点から深堀る。
結構これが難しくて、一つのことをしている内に、
いつの間にか別の視点から問題を調べていることがある。
だから、視点をしっかりとロックオンしておく。


余談だが、概して夢中になればなるほど、「トリの目」を忘れがちになる。
ミクロにこだわって、全体が見えなくなるのだ。
注意しなければならないと思う。

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