むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

充電

2009年07月31日 22時45分27秒 | Weblog
あと1カ月。
全国の新聞記者の半分以上がおそらく夏休みもなく、振り回されるんだろう。


この仕事をやってきて、休みがつぶれたことは数知れず(涙)
けれど、今年は国内選挙とあまり関係ない部署なので、休みが取れた。
久々に充電。ただただ、感謝!




実は以外な担当の記者が、選挙前になると喜ぶ。
警察の捜査2課担当。
選挙違反の捜査に集中するため、投開票日までは大きな事件の捜索や逮捕がなく、他社の記者に「抜かれる」こともないため、事実上休めるというわけ。

かれこれ6、7年前……。
毎日睡眠3~5時間で朝晩の捜査員の夜回りばかりで、ひたすら忍耐、我慢、辛抱(全部同じか?)……と言い聞かせる日々だった。
だから、選挙期間中はつかの間の休みで、ほっと一息。

今となっては懐かしい。
けれど、絶対戻りたくない……。

原点

2009年07月31日 11時26分41秒 | Weblog
新聞の役割って……?

さまざまな担当をして、いろんな記事を書いてきて、考え方も変わった。
けれど、突き詰めると自分の中ではいつも同じところにたどりつく。



どこかのだれかが1人でも元気になれる記事。



こういうのをバカにする記者もいるけど、つい惹きつけられてしまう。
1面だろうが、地方版だろうが、そんな扱いは全く関係ない。

  ×   ×

■毎日新聞/社会面

ものがたり’09夏:最後の夏にかける 先生ボクサー、プロのリングに
 ◇北原浩二さん(35)

 「シュッ、シュッ」。汗が飛ぶ。スパーリング、サンドバッグの打ち込み……。千葉県柏市のセレスジム。本埜(もとの)村立滝野中教諭、北原浩二さん(35)が29日、東京・後楽園ホールである初のプロボクシング公式戦を前に最終調整を進めている。年齢を考えると、最初で最後の舞台かもしれない。「左ストレートで。出し切って、勝ちに行きます」

 北原さんは、鹿児島県霧島市出身。97年に東京理科大を卒業し、千葉ニュータウンにある滝野中で理科を教えている。光合成の授業では、木の葉が酸素を作り出す様子を観察させ、慣性の法則はペットボトルを利用した水ロケットを飛ばして理解させる。言葉だけではなく、「体で覚えた知識は強い」が持論だ。
 そんな北原さんがボクシングと出合ったのは、教諭2年目の24歳。「授業の幅を広げよう」と通った夜間の大学院の近くにジムがあった。体力づくりのつもりだったが、なすすべもなく殴られる自分が悔しくなって週1、2回は通った。しかし、本業が忙しくなり、4年で中断。05年春に同い年のトレーナーと酒を飲んだ際、「筋肉と基礎はできている。まだいけるぞ」と励まされ、練習を再開した。

 ジムのオーナーで元WBA世界王者のセレス小林さん(36)は「強くなりたければ練習」と厳しく指導した。授業を終えてからの練習はきつかったが、若い選手たちがプロへと成長する姿に触発され打ち込んだ。07年6月、年齢制限の32歳ぎりぎりで、念願のプロテストに合格した。
 「人生一度のチャンス」。北原さんは今度の試合をそう思っている。バンタム級4回戦。相手は23歳で、戦績は1戦1敗。ひと回りも若い選手を相手にするのは、決して楽ではない。午前6時から10キロのランニング、午後7時から筋トレを含め4時間の練習。修学旅行先の奈良公園でも、シカを横目に走った。
 1学期の最終授業で3年生に語りかけた。「自分のため、チームのために、悔いが残らないよう挑戦しよう。先生もやる」【武田良敬】
毎日新聞 2009年7月25日 東京朝刊




■毎日新聞/千葉版

ボクシング:先生ボクサー北原さん、デビュー戦敗退 教え子ら「ありがとう」 /千葉
◇「やるだけやりました」
 「先生ボクサー」として練習してきた本埜村立滝野中の理科教諭、北原浩二さん(35)のプロボクシングのデビュー戦が29日、都内であり、惜しくもKO負けを喫した(30日朝刊社会面に掲載)。だが、夢をあきらめず頑張る姿勢は、教え子たちに感銘を与えたようだ。【武田良敬】

 東京・後楽園ホールで、教員生活13年で出会った白井市などの中学校の元教え子ら約80人が試合を見守った。印西市立印西中OBの高校1年生と父母ら25人は「先生頑張れ」と大書した横断幕を掲げて、「先生いけーっ」と声をからした。
 何度か倒れ、そのたびに立ち上がったが、打ち合いの末2ラウンド1分KO負け。「すいません」と頭を下げ、泣きながらリングを降りると、大きな拍手が起きた。「先生ありがとう」と涙ぐむ女の子も。
 印西中OBの長峰燎平君(15)=土浦日大高1年=は「悔しいけど、かっこよかった。冗談ばかり言ってた印象があったが、迫力があった」と興奮気味に話した。11年前に印西市立小林中時代に教わった内装業、三浦武さん(26)は「闘魂 北原浩二」のTシャツで応援した。「卒業後、バイクで事故に遭い入院した時に見舞いに来てくれた。優しい兄貴だけど熱いところを見せてもらった」

 演歌歌手の亜芽(あめ)洋子さん(58)は上野・アメ横で営むアクセサリー店の前を、練習で顔をはらしながら歩いていたのを見て声を掛け、以来10年余り応援してきた。鹿児島県出身の北原さんにとって亜芽さんは「東京の母」で、勝負のトランクスに名前を縫いつけていた。「ここまで努力して……元気をもらった。控えめだけど、いい先生だよ」と亜芽さんは目頭を押さえた。
 試合後、北原さんは「2ラウンド最初に油断してパンチを受け、後の記憶はない……やはりプロの世界は厳しい。でも、やるだけやりました」。今後については「しばらく体を休め、考えます」と語り、元教え子らの輪の中に加わった。


×   ×

先日、サイモン&ガーファンクルが来日。
ああ、行きたかったなあ……。

一番好きな曲は今でも「ボクサー」
少年の人生をたどる叙情詩のようだ。ライララ~イ……♪

■Simon And Garfunkel - The Boxer (Live)



□The Boxer

I am just a poor boy, though my story is seldom told.
I have squandered my resistance,
For a pocketful of mumbles, such are promises.
All lies and jest.
Still a man hears what he wants to hear and disregards the rest.

When I left my home and my family I was no more than a boy,
In the company of strangers,
In the quiet of the railway station, runnin' scared.
Laying low, seeking out the poorer quarters,
Where the ragged people go.
Lookin' for the places, only they would know.

Lie-la-lie ...

Asking only workman's wages I come lookin' for a job,
But I get no offers,
Just a come-on from the whores on Seventh Avenue.
I do declare there were times when I was so lonesome,
I took some comfort there.
La, la, la, la, la, la, la.

(Instrumental break)

Li la li ...
And I’m laying out my winter clothes, and wishing I was gone, goin’ home
Where the new york city winters aren’t bleedin’ me, leadin’ me goin' home.

In the clearing stands a boxer and a fighter by his trade,
And he carries the reminders of every glove that laid him down,
Or cut him 'til he cried out in his anger and his shame,
"I am leaving, I am leaving."
But the fighter still remains.

Lie-la-lie ...