わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

母とお茶の花

2005年10月30日 | 雑想
こちら k-603. お茶の花の季節。
私の母は、都会から田舎に嫁いできて、いつまでも環境になじめず、自分の価値観をかたくなに保持して生きていたようなところがありました。
その生き方は一生変わりませんでした。
母は花を生けるのが好きで、さもない花を摘んできて、さもない器に活けて楽しんでいました。
初夏のあるひ、隣のの農家の茶摘みに出かけていったことがあります。そのとき日当としてもらってきたのは、ヤブキタという種類のお茶の種でした。そのお茶はとてもおいしいというので、貰ってきて、自宅の周りの垣根にしようとしたのでした。
何年かして、お茶の木が大きく育ち、夏に新芽を摘み、父がそれを揉んで緑茶にして家族がそのお茶を飲みました。
秋も深まると、2~3cmの白い清楚な花が、緑の葉に隠れて下向きに咲きます。
母はそれを小さな壺にさして、子供たちに季節の移ろいを知らせてくれました。
清楚という言葉がもっとも似合う花だと、母は子供たちに教えました。
母はこの花が大好きだったようですが、ある時、知り合いのテレビ局のカメラマンに、「お茶畑でこの花が咲いているところをきれいに撮って、テレビで流してよ」と頼んでみたことがあります。
すると、彼が言いました。
「とんでもない、お茶農家では、花を咲かせるなんて恥ずかしいことなんだから」
つまり、花を咲かせて養分を取らせてしまうような管理の仕方では、ろくなお茶はできないと言うことだったのです。
この花のかすかな甘い香りも、たたずむような静かな秋を感じさせてくれます。

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