気に入ったsketchは、観る日によって違うものです。 これまた古いスケッチをupして仕舞ました。
回顧に入っているのでもないのです。 新しい作品があまりできないからやむを得ないかも知れません。と言うだけです。
いまだったら、もう少し自我が表に出たような表現方法を使うように思うのです。
変わり続けること。 正にあらゆる識者が主張する「生きる」と言うことの定義の感じになっています。
と言うことに成ると、この稚拙な表現に何となく、和やかな感じがするのです。
半面、おそらく花のスケッチをしているうちにこんな「奔放なひょげん」を楽しんだ一瞬もあったのでしょう。 この絵のように、描き込んでいるうちに、まるで「抽象」の世界を模索している感じになってきます。 時間とはこれまた多くの方々が、中には、ベルグソン」のように「時間論」まで、深い世界に入ってしまった時代もありました。
今週号の福岡伸一の6回目の生物の終焉を方向付けた、自然、環境の現在をコラム「eye」は、吃驚するような、行き着くところまで行かないと、今では手が付けられないところに来ているという意見を述べています。
難しがらないで、楽しく「今日」を過ごしていこうと思ってみたり…。