時間が懸っていますが、少しばかり「風貌」が予測できるところまで構図が固まってきました。
なかなか定まらない展望が、何となく「凝集」できて来て、物語が何層にも語り繋いで行くような「空気」が満ちてきました。
100号も何十枚となく描いて来たのですが、矢張りちょっと手強い大きさです。 500号などのような、壁画などを描く感じでまさに「描き繋いで行く」ことが課題に成るのです。
この一週間は、何となく体調なのでしょうかね、モチベーションが上がらないばかりか「Cafe」にばかり出掛けていて、まるで志向が停止して終って居て、「これはどうしたことだ」と、戸惑っていたのです。
でも、時間が態と超を取り戻してくれたのでしょうかね。書店に出掛けて、福岡伸一の「変わらないために変わり続ける」(文芸春秋社)のはしがきを読むのと同時に、元気を取り戻し始めたのです。 つまり「動的平衡」を意識的にやっている感じになって来たのです。
福岡伸一のコラムは「AERA」で月2回ずつ連載されていますが、この著書は、週刊文春に2年間の留学・客員教授として赴任した際の研究生活の一端を日記風に書かれたものです。
「生物と無生物の間」等の著書は、非常にエキセントリックに、私たちのようなものにも、宇宙の成り立ちのようなものから、素粒子まで、関心を持たせて呉れた「名著」でした。
さて、100号を進めながら、壁に貼ってる私のダレ描きを見ますと、随分純粋な語りかけをしてくれるようです。 その横には、「板絵・富士」や、個展の時の言葉・陶板などが無造作に架けられています。
その時々の想いが、今もだれの目にも触れないで、静かに飾り続けられていることが、不思議な感じで、綿とに語りかけてくれるのでした。