醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  293号  白井一道

2017-01-15 12:59:04 | 随筆・小説

 俳句は浮世絵

句郎 図書館で木々康子著「春画と印象派」という本が目に留まった。
華女 淫らな気持ちがその本を取り出したのね。
句郎 まぁー、そうなのかな。春画とは浮世絵のことなんだ。浮世絵とは春画だと木々さんは述べている。ジャポニスムの研究家なんだ。
華女 俳句と何か、関係があるの。
句郎 俳句とは浮世絵だと思ったんだ。この世は憂世、憂世を浮世として絵画として表現したものが浮世絵だとしたら、憂世を浮世として文学として表現したものが俳句なのじゃないかと思ったんだ。
華女 なるほどね。
句郎 生きることは楽しい。食べることが何より楽しい。美味しいものを食べると生きている充実感が満ちてくる。満足感が生きている楽しさだとね。
華女 確かにそうよね。綺麗な服を着たり、お化粧したりするのは女の喜びだったりするわ。
句郎 そうでしょ。美味礼賛。仕立ての良い服を身にまとう。気持ちのいい家に住む。これが浮世だよ。ご飯が食べられない。身に着けるものは襤褸ばかり。住む家はあばら家。これでは憂世だよ。
華女 しかし、現実は厳しいものよ。今は働いても働いても十分な生活ができない若い人々が大勢いると言うじゃないの。
句郎 そう。だから現実は憂世。芭蕉三八歳の時の吟。「櫓の声波ヲうつて腸(はらわた)氷ル代なみだ」、今のような暖房器具のない時代、一人住まいの庵で真冬の夜を過ごす侘しさを詠んでいる。憂世をじっと見据えている。同じ時期、「芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉」とも詠っている。この句には笑いがある。浮世だと自分を笑っている。詫びて住む独り者の世界は一幅の絵、浮世絵になっている。そんなふうには感じないかな。
華女 そうね。そうかもね。
句郎 二〇一〇年代の日本と比べたら、元禄時代の日本は厳しい、厳しい時代だった。それでも徳川封建制社会の底辺に生きた平民たちの生活は豊かになった。金儲けに勤しむ町人たちは生活を楽しんだ。美味しいものを食べ、派手な衣装を身に着け、酒や煙草、謡、俳句を楽しんだ。
華女 生活を楽しむ庶民の姿を表現したものが浮世絵だったのね。
句郎 庶民の生活を表現したものだから、浮世絵は高等なものだとは誰も思わなかった。下品なものだとして人々は扱った。俳句もまた高等な文学だとは誰も思っていなかった。俳句をする人間は下等な輩だと蔑視されていた。下品な遊びとみなされていた。なぜなら浮世絵は春画にその本質が表現されているからね。生きる喜びとして性が表現されているからね。その喜びは美味しいものを食べる喜びに通じるものがある。金子兜太の句に「夏の山国母老いてわれを与太(よた)と言う」がある。医者の家に生まれた兜太は母に俳句をするもの、与太だと言われていた。俳句をするものは与太者だった。そのような意識が知識階級の一部に残っている。
華女 へぇー、そうなの。
句郎 俳句は春画のようなものだからね。この春画を高く評価したのが西洋近代の画家たち、印象派と言われたモネやゴッホ、マネたちだった。光に満ちた喜びを浮世絵に発見したからね。