醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  300号  白井一道

2017-01-22 12:26:49 | 随筆・小説

 故郷とは親がいてこそのもの

句郎 芭蕉は旅に生き、旅に死んだ詩人のように言われているけれども、故郷を捨てきることできなかった。
華女 漂泊者というのは故郷を捨てた人のことを言うのかしら。
句郎 中世の隠遁者、西行は故郷を捨てた漂泊者だったようだ。
華女 芭蕉は帰る家を持っていた旅人だったのね。
句郎 そうなんだ。帰る家を持つ旅の詩人だった。
華女 酒と旅と自然を愛した詩人、若山牧水に通じるものが芭蕉にもあったということのようね。
句郎 牧水の歌の原点は故郷宮崎日向にあるといわれているからね。
華女 じゃー、芭蕉の場合は伊賀上野藤堂藩に句の原点があるのかしらね。
句郎 故郷を詠んだ有名な句が芭蕉にはあるからね。
華女 「旧里や臍の緒に泣くとしの暮」ね。
句郎 その他にも「手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜」と『野ざらし紀行』の中で母の法事を兼ねて故郷伊賀上野に帰り、母を偲び詠んでいるからね。
華女 「ちゝはゝのしきりに恋し雉の聲」とも詠んでいるわね。
句郎 そうだね。でも、この句は故郷を恋う句と言えるのかどうかね。
華女 都に出た子が父母を恋うのが郷愁というものじゃないの。
句郎 そうだよね。確かに父や母が存命であるからこそ、帰郷するということかもしれないな。
華女 親がいてこその故郷なんじゃないかしら。
句郎 郷土の山や川、田畑は二次的なものなのかもしれないなぁー。
華女 それは思い出にあるものね。
句郎 芭蕉は農民の出だったから、土地に対する愛着はことのほか強いものがあったと思うんだ。
華女 確かに町人に比べれば土地に対する気持ちが農民とは違うように思うわ。
句郎 武士とも違うんじゃないかな。武士にとっては徴税の対象としての土地だったからね。
華女 そうかもしれないわ。私にとって卒業した学校は母校という気持ちがあるけれども、教師として勤務した学校を母校という話は聞いたことないもの。そう思わない。
句郎 江戸時代はお殿様が転封になり、国替えになるとお殿様に従って移住していったからね。
華女 武士にとって、生まれ育った土地は勤務地なのね。
句郎 それに対して農民は一所懸命、一所に命を懸けて生きているわけだからね。
華女 一生懸命でなく、一所懸命なのね。農民を表現した言葉なのね。
句郎 そうだと思う。だから農民の血が芭蕉には流れているのだから、故郷を捨てることはできなかった。故郷あっての芭蕉だった。農民に出自を持つ芭蕉は故郷を捨てようにも捨てられなかった。また藤堂藩が藩内の農民が無宿人になることを許さなかったという事情があったのかもしれないしね。藩内の農民人口の減少は藩の徴税額の減収になるからそう簡単に藩から抜け出ることは難しかったんじゃないかな。
華女 武士の出であった西行とは身分が違っていたのね。
句郎 武士には隠遁の道があったけれども、農民にはそのような自由は許されなかった。