醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  297号  白井一道

2017-01-19 11:52:01 | 随筆・小説

 冬の雨に笑いを見た

句郎 芭蕉忌のことを時雨忌と言うよね。どうしてかな。
華女 芭蕉が亡くなったのが冬だったからじゃないの。
句郎 確かに芭蕉が死んだのは元禄七年十月十二日だったからね。
華女 西暦で言うと何年になるのかしら。
句郎 一六九四年十一月二十八日になるみたいだよ。
華女 現代の感覚でいうと晩秋という感じだけれども、俳句的には冬よね。
句郎 でも、旧暦の十月の季節感を表す言葉は時雨の他にもあるような気がするけれどもね。
華女 そうね。新暦の十一月下旬の頃になると初時雨が降る頃なんじゃないかしらね。
句郎 そうだね。いつ頃から芭蕉忌を時雨忌というようになったのかな。
華女 もう江戸時代から芭蕉忌のことを時雨忌というようになったのかしらね。
句郎 そうかもしれないな。芭蕉は江戸時代から俳諧師の間では有名になっていたようだからね。「芭蕉会と申し初めけり像の前」と芭蕉の三回忌に史邦という門弟が師匠を偲び、詠んでいるしね。また、「芭蕉会に蕎麦切打たん信濃流(しなのぶり)」と云う句も文邦は詠んでいるからね。芭蕉没後すぐ芭蕉庵の前には像まであったようだから。
華女 芭蕉は生きているうちに功なり、名を遂げていたのね。
句郎 生前は名もなく貧しく、死後有名になった俳人じゃないんだ。生前に認められ、生活が成り立ち、当時にあっては考えられないような長期間にわたる旅をした。凄い人だよね。
華女 現代にあっても、芭蕉と同じくらい、旅をしている人というのは少なないのじゃないかしら。
句郎 そうだよね。いつごろから芭蕉忌を時雨忌と言うようになったのかは分からないけれども、俳句の古今集といわれる『猿蓑集』は春からではなく、冬の句から始まり、初めの句が芭蕉の「初時雨猿も小蓑をほしげ也」という句が掲げられているんだ。
華女 古今集にしても普通歳時記というアンソロジーは春から始まっているのに、冬から始めているのは何か、芭蕉には意図があったのね。
句郎 蕉門の人々は翁の句「初時雨猿も小蓑をほしげ也」を誇る気持ちがあったんじゃないかな。
華女 それはどんな気持ちなの。
句郎 それは其角の言葉に出ている。「猿に小蓑を着せて俳諧の神を入たまひければ、あたに懼(おそ)るべき幻術なり」とね。
華女 猿に小蓑を着せたら面白いじゃないかと言っただけの句じゃないの。
句郎 そうなんだ。和歌や連歌に詠まれた時雨に俳諧の時雨を詠んだと其角は胸を張った。和歌や連歌は時雨を寂しい、侘びしいものとして詠んだが、芭蕉は猿に小蓑を着せて時雨を楽しんだ。ここに俳諧の新境地を開いたと其角は主張している。俳諧の神を入れた幻術だと述べている。冬の雨を冷たく、寒い嫌なものとしてではなく、楽しむものとして受け入れた。笑い、諧謔を時雨に発見した。ここに翁と呼ぶ芭蕉の手柄を一番弟子であった其角は胸を張った。時雨に新しい冬の美を発見した。だから芭蕉忌を時雨忌というのかな。