醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  301号  白井一道

2017-01-23 11:04:47 | 随筆・小説

 モディアーニとその妻・肖像画が秘めるもの

 ハイビジョン特集 「生きた、描いた、愛した モディリアーニとその恋人の物語 天才画家モディリアーニと、後追い自殺をした恋人の愛の軌跡を作品世界からたどる」を見た。初回放送を去年見た。再度、今年になって再放送を見た。一時間四十分飽きることなく画面に引き込まれていた。
 モディリアーニが愛した女性とはどのような女性だったのか。モディリアーニが描いた妻の肖像画を見て、興味が湧いてきていた。ちょうど視聴者の気持ちを推し量るように妻ジャンヌ・エビュテルヌの写真が写された。肖像画から想像することのできない美貌の女性だった。澄んだ瞳が輝く女性だった。生き生きと静かにじっとこの女性に見つめられた男は有頂天になったに違いない。モディリアーニの気持ちが分かる。おしゃべりする必要が二人の間になかった。絵筆を取ることが二人にとっては愛の時間であった。そのように感じた。
 ジャンヌはモディリアーニが病死した二日後にベランダに出て、飛び降り自殺した。ジャンヌにとってモディリアーニの死は同時に自分自身の死を意味していた。妻ジャンヌは夫モディリアーニと一心同体の存在だった。それほど深く深く愛した夫モディリアーニが描いた妻ジャンヌの像画はちっとも綺麗には描かれていない。普通の女性だったら、怒り出すかもしれないような絵に仕上がっている。しかしジャンヌはモディリアーニの肖像画に自分への愛を感じ取っていたのだ。嬉しい、私をこのように見てくれているのを受け入れている。あぁー、ここには第三者は入り込むことができない二人の世界が横たわっていた。
 モディリアーニはジャンヌを見てみてジャンヌの真実を表現した。その真実がジャンヌの肖像画だった。モディリアーニが発見したジャンヌの真実が肖像画として具体的な作品として現実のものになった。
 「生きた、描いた、愛した」の番組を見て現代俳句に通じるものを感じた。手元にあった本をペラペラめくったら飯田龍太の句がでてきた。「父母の亡き裏口開いて枯木山」。山国の家を継いだ感慨が詠われている。1945年の敗戦後の世界が表現されているのかなぁーと、読んで思う。ここに一つの真実がある。絵も文学も同じものを求めている。私たちは絵や文学を通して自分を他者を世界を知っていくのかなぁー。

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