風街せんちめんたる通り

ゆるやかな優しさで僕らの憧れを演出した
ときどき素敵な 風

☆夢の跡ひととせ幻

2010-08-29 | Weblog
法要の山門に屯し涼をえる。久闊の縁者のシャツは白く燃え。
    
    
僕らが子供のときも繰り返された風景、年老いる僕らがこれからも繰り返す情景。
   
    
  
   
杉木立重ねた齢夏の風。いつの日か幻となる日々ならば。
千年の光、百年の時、一年の儚、一日の虚。  
   

   
  
一周忌

☆夏の味覚

2010-08-18 | Weblog
 
   
これは下剤である。本日は健診を受けてバリュウムをご馳走になってきたのである。年に一度この時期の味覚であるが、ちょっぴりシェイクっぽい感じがしないでもないものの、できたらご遠慮申し上げたいことである。

☆送り火

2010-08-16 | Weblog
  
   
生まれたのが8月14日。お盆の最中だし、その年はかなりの猛暑だったそうだから、母さんはたいへんだったろうと、つくずく思う。その日その部屋に扇風機はあったのだろうか、訊いてなかった。誕生日は祝ってもらう日じゃなくて産んでもらったことを感謝する日、そう書かれたブログを、この夏にいくつか読んだ。なるほどと思いながらも、口にするのは照れくさい。こういうことを素直に当たり前に語り合える親子は、ホームドラマの親子みたいに良い関係なのだろうと羨ましくもあり、でも、恥ずかしくもあり。そういう関係を作れ(ら)なかった私は不肖の息子だと重々重々自覚している。この歳になっても照れくさいなどと、いつまでも大人に成りきれない、まったくの不肖です。
  
   



昨夜、母さんの用意してくれたウニをいただきました。美味しかったです。こういった時のぶっきらぼうなお礼とか褒め単語を一年分貯めて、それを誕生日にまとめて感謝の言葉としてノシ紙をつけ………、っていうのはムシがよすぎますかね。

今年も去年のように誕生日もお盆も終わりました。夏をまたひとつ、来年も今年のように。

☆ラテンな夏の古典

2010-08-12 | Weblog
贔屓にしていたとまでは云えないないですが、家から歩いて行ける生蕎麦屋さんは貴重だったので折にふれ暖簾をくぐっていました。




なんと、いつの間に。更地になってました。脱サラ(この言葉もすでに古めかしい)した熟年夫婦という印象のお二人でしたが、このご時世商売繁盛とはいかなかったか。




その近くでは電気量販店の店舗工事が進んでいました。この秋開店だそうです。先年閉店した電気量販店舗は別業種会社が入居して看板ロゴだけ変えて営業しています。変化の激しい時代というより、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし、そういう諸行無常を感じてしまいます。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。




昨晩入った牛タン通りのこの店は



相変わらずの賑わいでした。この繁栄は夢か現か幻か、作る人も売る人も並ぶ人も買う人も運ぶ人も食べる人も洗う人もみんな幸せでいたいですね。




自転車の後輪がどうも不調だ。空気が抜けやすい、猛暑のせいか、と何でも暑さのせいにしたくなる。そういや昨夜はCDプレーヤーもディスクを回転してくれなかった上に”no disk ”とご機嫌斜めだった。でも、この自転車屋さんは暑くたって寒くたっていつも親切に対応してくれる。昔ながらの、雑然とした店内と油のにおいが嬉しい。オヤジさん、細~く長~く、続けてほしい。





ああ、きっとそうさ。みんないつか、むかしなつかしいおじいさんになっちまうのさ。

☆無精髭と休暇

2010-08-11 | Weblog
 
   
有給休暇取得率が低いらしいですが、祭りの喧騒も終わったことだしノンビリ街を歩けそうなので、話題の有給休暇を取得して出かけてみました。化粧を落としたスッピンの街路は落ち着きますね。休日は無精髭。やうやう白くなりゆく顎際。ユニクロで買って車に放り込んだままだったサングラスと愛用のラジオを携帯して、フラりブラりとそぞろにウォーキングしながら頭に浮かぶよしなしごとをそこはかとなくひとりごちれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

☆ど真ん中のストライク

2010-08-11 | Weblog
  
  
こういう道具かないものかしらんと探していたら、なんという神様のお導き、全く理想そのものじゃございませんか。興奮で震える手で掴んだ100円グッズ、その名も「結束バンド」。しかし、商品名もそのものズバリ過ぎて笑わせてくれます。確かに僕が行おうとしている行為は結束なのだけれど、「結束ッ」と、あからさまにいわれると恥ずかしいじゃないですか。だって、それはもちろん一般的な言葉だと認めるにやぶさかではないですが、日常用語では使いませんよね、結束なんて。

☆・・・はどこへ行った

2010-08-05 | Weblog
where have all the ・・・ gone

理由や事情はそれぞれあるんでしょうけれども



20年は二昔。その頃は慶事であったわけでしたが、それは昔々のお話。この様変わりはこの国の変貌の象徴かもしれませんですね。

  ”1991年、数え年百歳を迎え、西尾武喜名古屋市長から二人揃って長寿の祝い
   を受けたことが新聞に紹介される。その後ダスキンのテレビCMに起用され、
  「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳」(ダスキンの問い合わせ電話番号が
  「100番100番」であったことから)で全国的に有名になり、双子のお婆さんと
   して親しまれた。同じ時期、通信販売情報誌「通販生活」のCMやAMラジオ局・
   ニッポン放送のAMステレオ放送開始宣伝にも出演。1992年の新語・流行語大
   賞にも選ばれた。<Wikipedia>”




そのお上は貢献度の低い高齢者を捨てさせたという伝説。庶民は守るために隠し知恵を尊んだ。このお上は高齢者を制度と規則で厚遇したが、庶民は権益のために隠し資格を利用した(のかもしれない)。大切に隠されたものはどこへ行った。

☆ぼくはどうして大人になった

2010-08-02 | Weblog
NHKBSハイビジョン
『ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵画』

ぼくはどうやって大人になったんだろうかと自分に問いかけてみたら、ぼくは仕事で大人になった、そういう答えが還ってきた。


考えてみてもよく解らないことが多いけれど、自分を見つめたり突き放したり追い詰めたり解き放したり貶めたり慰めたり不安にしたり自惚れたり、そういった雑多なことをわりと真面目にしてきたのは仕事の中でだったように思えるのはおかしなことだと云われるのかもしれない。あるいは、それは仕事に恵まれたからだと皮肉られたり仕事に飼い馴らされたからだと嗤われるのかもしれないけれど、ぼくを大人にしたのは仕事で向き合ったアレコレだったように思えてしまうのは、それはおかしなことなのかもしれない。そしてそれは、若くないということで大人である理由とか大人でなくてはいけない理屈とかがそんなによく解らないからなのかもしれない。