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風街せんちめんたる通り

ゆるやかな優しさで僕らの憧れを演出した
ときどき素敵な 風

☆今年の一枚

2009-12-30 | Weblog
  
  
年末に風邪をひいてしまった
幸い熱が上がらないので話題の新型インフルではなさそうだ
明日は大晦日だからきっちり回復して年を越したい
と ことほどさように
今年はやや低調な年だった
いまひとつ充実感に乏しい年だった
と 手前勝手な事を書いているが
この程度で済んでいるのだからありがたいのかもしれない

    君の悩みは贅沢な悩みさ
    君の苦しみは勝手なものさ
    陽の輝きと嵐とは同じ空の違った表情にしか過ぎない
                 <生田敬太郎 この暗い時期にも>

そんな一年だったけれど
ベガルタ仙台の活躍は素晴らしいものだった
今年はこれに尽きる
J1昇格 J2優勝 天皇杯3位
全く最高の一年だった
今シーズンの感動の場面を振り返りながら除夜の鐘を聞きたいと思っている
そして来シーズンのいっそうの飛躍を願って初詣に出かけたいと思う
今年の一枚
おめでとう! ベガルタ仙台



☆駅ビルは今日もにぎやか

2009-12-26 | Weblog
   
   

寝るより楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く
亡くなった叔母が口にしていたのを思い出す
中学生の僕は 
寝るより楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて勉強する
と口真似して勉強もしないで寝ころんでいたもんだ 
叔母はそんなのんびりした人ではなかったから
しんどい仕事の生活を自嘲して云ったのかもしれない

僕が今高校生や大学生や20代の若者だったら
この時代をどう生きていこうとするだろうか
そんな大げさに深刻には考えないにしても
この時代の空気を感じてどんなことを考えるだろうか

70年代も混とんとしていた
当時の大人たちは絶望を感じていたかもしれない
破壊と虚無
自分の子供たちと自分の国との将来に強い不安を抱いていただろうな
でも僕らはたいして悲観はしていなかったし絶望もしていなかった
明日は必ず来る日だと疑わなかったし
やって来た日は刺激的で面白い日々だった

物思いにふけるのにシチュエーションは選ばないほうだけど
気分がいいのは
平日の昼日中の世の中がみんな働いているときに
駅ビルの一角の店でぼんやり時間を過ごすシチュエーション
昨日は休暇を取ってそんな時間を過ごした
みんなお疲れさん そう呟きながらビールを口にした
販売終了したのも知らずに
年末ジャンボでも買おうかなぁなどど思いながら

☆ザンギリ頭がレールを走る

2009-12-06 | Weblog
  
  
温泉街道でSLに遭遇しました
いつもは人が集まってることなどない辺りに
停車している車やカメラをセットしている人がたむろしているので
何かイベントの最中かなと思いながら車から外を眺めていたら
なんと煙モクモク吐き出しながら機関車がやってくるではありませんか
びっくりするやらおどろくやら(同じか)
あわててケータイを掴み転がるように車を降りて
カメラモードにしようとしたものの
焦っているからカメラメニューに辿りつかず間に合わず 残念無念
それにしても あの迫力は文明開化だなぁ
リュポォーッと響く汽笛には格調を感じたなぁ
モクモクシュワシュワと湧き出る煙には威厳すら感じさせられた
山形の新庄と宮城の古川をつなぐ陸羽東線をC11が走ったとのこと
後で新聞で知りました

☆時代の背骨

2009-12-01 | Weblog
  
  
ほんとは○○って名前にしようと考えてたのに
だれかがハヤトチリして△△と言い始めてしまって
そしたら△△が一気に広まって大ヒット
  
という逸話をかなり以前に何かで読んだか聞いたかしたのだけど
思い出せない く、くやしい
こんなことが最近よくあるだけになおさら く、く、くやしい
  
  
     誤植は本来あってはならないが、思いがけない効果を
     もたらすこともある。日本漫画史に残る傑作の一つ、
     つげ義春さんの「ねじ式」(1968年)はその一例
     だろう

     ▼左腕をクラゲに刺された少年が、医者を探して海辺
     の町をさまよう。作中の「メメクラゲ」は、つげさんが
     「××クラゲ」と書いたのを編集者が勘違いしたもの。
     だが、シュールな作品には「メメクラゲ」の方がふさわ
     しい

     ▼貸本漫画でデビューしたつげさんは、貸本の衰退によ
     り沈黙を余儀なくされ、不遇の日々を送った。そんな
     つげさんに発表の場を与えたのが、96年に74歳で亡
     くなった塩釜市出身の長井勝一さんだった

     ▼貸本時代から漫画の出版を手掛けた長井さんは、64
     年に「月刊漫画ガロ」を創刊、初代編集長を務めた。同
     誌からは「ねじ式」をはじめ数々の名作が生まれ、多く
     の新人漫画家が巣立っていった

     ▼塩釜市の「ふれあいエスプ塩釜」の中に、長井さんの
     功績を紹介する美術館がある。編集者と一雑誌の軌跡に
     スポットを当てた施設は全国的にも珍しい

     ▼長井さんの遺品や「ガロ」の表紙、原画などの常設展
     示に加え、ゆかりの漫画家を招いたトークショーや漫画
     講座なども開かれている。地元に根付きつつある漫画文
     化からは、将来、第二の長井さんが生まれるかもしれない。
   
                        (河北春秋2009年11月30日)

  
河北春秋は天声人語と同じ位置づけのコラムなのだけど
この話題に共感する読者がかなりいることを
筆者は意識して書いていることだろう
あの時代のサブカルはしぶとくしたたかに生き続け
この時代のバックボーンになっているのだと深くうなづく