北モシリ島の暮らし

北モシリ島(北海道)民の暮らし

リーン・オン・ミー/クラブ・ヌーヴォー

2007-03-31 22:19:35 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2の19曲目。
つまりこのCD2枚組の最後の曲じゃ。
知らない曲が1曲しかなかったから、大変じゃったの。

最後は1987年の全米NO1になってるこの曲じゃ。
詳しい事は全くわからずに、メロディだけは覚えてるのじゃ。
親しみやすいメロディだからかな?

このグループというか、ユニットと呼んだほうが良さそうじゃな。
レビューの言葉をお借りするぞ。
3人のプロデューサーが結成したユニット。
知らないがタイメックス・ソーシャル・クラブの「ルーモアズ」をヒットに導いたジョン・キング。
後にトニー・トニー・トニーやアンヴォーグを手掛けたデンゼル・フォスターとトーマス・マッケルロイ。こっちは聞いたことあるぞ。
・・・がカリフォルニアで組んだそうな。
で、この曲は1972年にNO1になったビル・ウィザーズのカヴァーなんだそうだ。
それを見事にレゲエ調でもあり、アフリカンというよりはカリビアンな感じのダンス・チューンに仕上げてあるのだ。

歌詞の内容はリーン・オン・ミー、僕に寄りかかればいいよ。力になってあげるから、人生は苦しいときもあるさ・・・という感じの優しい曲でもあるのだ。

画像はウィキペディアには無くて
アマゾンのインポートから見つけた。
1987年アルバム「ライフ・ラブ&ペイン」
デザインもいいね。

視聴もあったのだ。こちら

はいザ・エイティーズの紹介を終了なのだ。

ドント・ユー/シンプル・マインズ

2007-03-31 17:25:02 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2のいよいよ18曲目。あと1曲だ。

1985年発表の全英・全米NO1
知らなかったが映画「ブレイクファスト・クラブ」のサントラだそうだ。
ブライアン・フェリー用に作ったが、ブライアンが断って彼らに回ってきて大ヒットとなったのだ。
この曲は個人的にも好きな曲の一つだ。

彼らは結構イギリスでは有名なニュー・ウェイブ・バンドの一つだったらしく、
スティーブ・リリーホワイトをプロデューサーに迎えたあたりからヒット曲を連発していたらしい。
ただ全世界的に有名なのはこの曲らしいけど、
とにかく80年代と言えばこの曲は当然の曲だそうだ。
ちなみにこのグループはメンバー交代が激しく、とても覚えられない状況が書いてあったな。

イントロのジム・カーの「ヘイ・ヘイ・ヘイ」から始まり「ドンチュウー」のサビが忘れられないジーンとくるものがあるのだ。
歌詞はわしを忘れないでくれ、というものだから欧米得意のラブソングにある、未練タラタラの男性側の内容だ。

画像はシングル・ジャケ
ウィキペディアの英語版に行くとほとんどの当時ジャケが載っていて楽しいのじゃ。

アディクティド・トゥ・ラブ/ロバート・パーマー

2007-03-31 16:54:29 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2の17曲目。

邦題はなんと「恋におぼれて」なのだ。
わしはロバート・パーマーってあんまり知らないんだけど、
イギリス、ひいてはロック・ミュージック界では大物だったらしい。
で、わしはこの曲はベスト・ヒット・USAで知ってるのだ。
PVが確かMTV大賞を取ってるような気がする。
無表情な美人女性4人組のバック・ミュージシャンを従えてのPVはセクシーな感じがプンプンだったのを覚えている。
ウィキペディアでもPVの画像を載せていた。

音楽自体はわし好みではない。
オーソドックスなロックンロール調でシンプルな楽器編成のアレンジ。
いかにもアメリカ人好みのサウンド。
だから全米でNO1になってる。
申し訳ないが今、聞いてもピンと来ない。
でも80年代にNO1となった代表的な曲の一つである事は間違いない。

彼は残念なことに、2003年パリで心臓発作により亡くなっている。
ディスク2はなぜか亡くなっている人が多いな。
この曲も1985年発表。
22年前の曲だからね。

シャウト/ティアーズ・フォー・フィアーズ

2007-03-31 16:38:13 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2の16曲目。

ティアーズ・フォー・フィアーズはまさしく80年代のグループだ。
イギリスの2人組のシンセユニットと言えばいいのか。
ファースト・アルバムは全英ではヒット。
で、全世界的に売れたのはセカンド・アルバム。
「ルール・ザ・ワールド」が全米NO1となり、
次に1984年シングルカットされたのがこれだ。
この曲も全米NO1となっとる。

わしは当時こいつらが好きで好きで、
「ルール・ザ・ワールド」も「シャウト」も両方好きだった。
でもなぜか不思議とCDが無いって事はレコードで持ってるのかも知れない。
1989年にこれもヒットした「シーズ・オブ・ラブ」はCDで持ってるからな。

アレンジが凝りに凝ってる大げさな感じと、なぜか切迫感のあるヴォーカルが好きだったのかな?
歌詞の内容は意外にもシリアスなのじゃ。
タイトルどうり、我慢してないで叫べなのじゃ。

画像はシングル・ジャケ

ロック・ミー・アマデウス/ファルコ

2007-03-29 20:14:57 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2の15曲目だ。

この曲は聞いた瞬間思い出した。
なんちゅうか奇妙な曲だ。
1985年オーストリアにて発売されたこの曲が
ヨーロッパを席巻してNO1を総ナメにして
なんとアメリカで翌年にNO1になったのである。
おそらくアメリカの音楽界でオーストリア人がNO1になったのは後にも先にも彼しかいないのではないか?

この曲はどちらかというとコメディ的な要素もあるにもかかわらずだ。
当時は珍しいヒップホップってのも面白い。
それもドイツ語と英語がゴッチャで作ったから変なリズム感が出ているのだと思う。
もちろん1984年にヒットした映画「アマデウス」をモチーフにしてるのも影響されての作品という理由もある。

このキワモノ的なサウンドが忘れもしないものとしたのであろう。
わしはこのCD入手後、何回も聞いている。

彼はでも残念なことに1998年ドミニカで自動車事故で亡くなっているのだった。

画像はシングル・ジャケ
左すみにUSANO1HITと書いてあるのがいい(笑)

ニュー・ソング/ハワード・ジョーンズ

2007-03-29 19:30:09 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2の13曲目はすでに紹介済みのマッドネスのイン・ザ・シティなのだ。

で、14曲目。全英NO3まで行った曲。
1983年デビュー当時28歳だったにもかかわらず、どちらかというとアイドルっぽく、人気があった彼。
下積みが長く、やっとデビューできたことを祝う内容の歌詞が初々しい。
シンセ・ポップと形容されてるように、
当時のイギリスを支配していたシンセサウンド全開。
ただかなり明るいサウンド。
わしも歌よりもシンセのソロサウンドで思い出した。
スペーシックなこのシンセのメロディが頭のすみに覚えていたわけよ。

数曲ヒット曲を出していたけど、不遇の時代があり、でもまだ現役だという。

画像は1984年のデビュー・アルバム「ヒューマン・リブ」
左側に半分写っているのが彼。

グロリア/ローラ・ブラニガン

2007-03-29 15:31:26 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2の12曲目。

この曲は確かにはやった。
はっきりと覚えているぞ。
1982年全米NO2までになった曲。

すごい高いキーと声量だと思っていたら
母親はソプラノ歌手だって。
で、このグロリアの原曲もイタリアという事で、
彼女もイタリア系アメリカ人という事もあって、はまっているのかな?
スケールの大きい聞きごたえのある曲だ。

この後、数曲のヒットを出したそうだが、
ウィキペディアには悲しい事実が載っていた。
彼女は2004年に脳動脈瘤で亡くなっているそうである。享年47歳。

画像はデビュー・アルバム・ジャケ

キッズ・イン・アメリカ/キム・ワイルド

2007-03-28 21:09:58 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2の11曲目。

題名からとは違いなぜだか知らないがキム・ワイルドはイギリス人らしい。
このデビューシングルは1981年全英NO2なのだ。
なぜだ?
で、日本では全米NO1になったシュープリームスのカバー「キープ・ミー・ハンギン・オン」のユーロビート版が有名だそうで、わしは知らん。こっちのほうを知っている。
なぜだ?
サビのメロディを知っているのよ。

でもね、この曲。テクノ・ポップとは言うけれど
年代と場所から言って、明らかにまだニューウェイブの影響バリバリで、
ベースとバスドラがど真ん中のトラックににバランスされての録音は明らかにパンクだし、エンディングも全くパンク・サウンド。
かろうじて不安定な音程のキムのヴォーカルと歌詞のアメリカで、とにかく今、ここにある情報では却って混乱する。
でもシンセのピコピコ音は効果的。ノリノリにはなれる。
まさしく80年初頭ロンドンサウンド。

でもなぜキッズ・イン・アメリカなのだろう?

画像はシングル・ジャケ
当時はモノクロっぽいのはやりだったのかな?
あまりカワユスに映ってないね。

アイ・フィール・フォー・ユー/チャカ・カーン

2007-03-28 20:25:04 | 80年代ミュージック
ザ・エイテーィズのディスク2の10曲目。
最近毎日の更新できないから行ける日にどんどん更新するぞ。
まだまだ紹介したい曲はあるのよ。
それにコレクティブルズの紹介もストップしてるしね。
気が向いたら再開するよ。

さて1984年発売のこの曲。
この曲はプリンスの曲のカバーだとな。
で、プロデュースもプリンスとな。
どうりで80年代を超越しとる。
いきなり当時はまだ確立してなかったラップが入ってるからな。

全米NO3だったこの曲。
彼女はアメリカではアレサ・フランクリンに次ぐR&Bディーバだそうな。
日本では結局この曲どまりだもんな。
それもディスコ通いしてた兄ちゃんしか知らんだろ。
わしも当時は兄ちゃんだったからな(笑)

とにかくこの曲は格好いい。
時代を超えて格好いいのだ。

画像はアルバム・ジャケ

グラマラス・ライフ/シーラ・E.

2007-03-28 17:12:28 | 80年代ミュージック
ザ・エイティーズのディスク2の9曲目。
1984年、先日紹介したプリンスのアルバム「パープル・レイン」のバック・ミュージシャンを努めていたと記憶しておるが。
彼女のソロがこれなのだ。
プロデューサーはもちろんプリンス。

彼女はメキシコ人とアフリカ系アメリカ人の混血だそうで、
わしは当時PVを見た時はとにかく美人ちゅうよりもパーカッショニストとしてパフォーマンスがすごく、格好良かったって記憶が鮮明じゃ。
目を惹かれるっていう感じだったな。
音楽のジャンルはウィキペディアではなんとラテン・ポップとなっていたが、
確かにリズムは独特。でもファンクじゃろ。
で、この曲は全米NO7ね。
でもこの後はヒットに恵まれていないらしいが、いまだ現役活躍中とのこと。

歌詞の内容は直訳すれば魅力的な生活とつまらないのだが(笑)
魅力的な生活=満ち足りた生活(お金のある)があっても愛がなけりゃやっぱダメって内容なのね。
「お金じゃ、家賃しか払えない
でも愛は、永遠に続くもの」って歌詞がいいね。

画像はシングル・ジャケ。やっぱ美人だわな。
視聴は探したけど無かった。
80年代でもかなりヒットしてないと視聴が無いのね。