

・・国の公的扶助の義務を否定し、国民の相互扶助活動を基本としていた明治政府であったが、日清戦争、日露戦争による国民の困窮はひどく、社会問題が激化したため新たな対応を迫られる事になった。
政府は富国強兵政策を遂行するため、戦争による犠牲者に対してのみ「下士兵卒家族救済制度」や「廃兵院法」などの制度を制定した。
しかしながら、それら以外の社会問題に対しては厳しく対応しており、そのような中で考え出されたのが「風化行政」である。
風化行政は1900年代、井上友一を中心に考え出され、日本の社会福祉の考え方や発展に大きな影響を与えた。
井上によれば「貧困者を救うという事よりも貧困を防ぐという事が基本である。貧困を防ぐためには、社会の気風、個人の生活様式を改善することが最も重要であり、その営みを『風化』という。」と考え、ヨーロッパのような経済的救貧制度よりも、精神の風気善動が基本であり、日本がとるべき道だと考えた。
そのため井上は「中央報徳会」を1905年に発足させ、二宮尊徳の教えを全国に普及させる事により、勤倹貯蓄の考え方の定着をはかった。また、1908年に「中央慈善協会」(現在の全国社会福祉協議会)を設立し、国が指導しつつも前面に出ない「半官半民」の団体による慈善・救済活動を推進させた。
この結果、日本の社会福祉は精神主義になり、国民の間に「社会福祉を利用する事は恥ずかしい事である。」という認識をもたせる事に成功した。
つまり、貧困はふだん一生懸命働き、しっかり貯める事(勤倹貯蓄)をしていないからであり、社会福祉を利用する人間はだらしなく、怠け者というレッテルを貼られる事になり、結果として社会福祉を利用することをためらわせ、その費用を抑制出来る効果をもたらす事になった。・・
大橋謙策・社会福祉論 日本における社会福祉の展開 より
日比谷焼打事件 - Wikipedia
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精神主義
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