山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

グランドスラム東京

2009-12-13 20:05:11 | Weblog
 グランドスラム東京大会が11日から今日までの3日間、東京体育館で行われている。参加選手は400名以上であり規模の大きな大会となった。日本選手の戦いぶりについては改めて述べるとして、今日は会場の雰囲気や審判等についての感想を述べる。

 まず、参加者は多いのだが観戦していて充実感というようなものが感じられないのは、敗者復活戦がなく試合数が少ないからかもしれない。例えば世界チャンピオンが1回戦で負けてしまうと敗者復活戦がないので当たり前だがその選手の戦いをみることはできない。選手にとってのチャンスも少なくなっているが、見る側の興味も削られているように思う。敗者復活戦がないのは参加者が多く試合数が増えて試合時間が長くなりすぎるという理由であったように思う。しかし、この大会を見ている限り、試合数が少ないために休憩時間が長過ぎて観客は退屈している。観客はお金を払って試合を見にきているのだから一つでも多く試合が見たいと思っているはずである。

 さらに、今日行われたIJF会長ビゼール氏が会見で来年の東京で行われる世界選手権はこれまでの各国1名の代表から2名参加させることを明らかにしたようである。こうなってくると、人数が多すぎるという理由でなくした敗者復活はなんであったのかということになる。また、日本やフランス等の柔道王国には非常に有利かもしれないが小国にはますますメダルのチャンスがなくなる。また、この2名出場も来年の東京大会のみで実施される可能性もある。現在のIJFの動向をみると行き当たりばったりの組織のようにみえてしまう。

 審判に関して言えば、反則をとるスピードが早かった。効果ポイントに相当する最初の「指導」がボードに載らないから簡単にとるのか?どうかは不明だが反則で試合の優劣が決まるケース、反則負けも少なくない。見ている側にとって反則で試合が決まるのは面白くない。センターテーブルのバルコス審判理事がビデオにおいて試合をチェックしていたが、この人の意見は3人の審判を飛び越える権限があった。主審が技の効果を示し、副審も意義を唱えなくてもセンターテーブルの指示で判定が覆ることも一度や二度ではなかった。審判は判定を下した後もセンターテーブルをしきりに気にしており、そこには審判の権威は感じられない。ビデオ判定は審判3人でも判断が難しかったときに使用されるものであったはずだが、今となってはビデオの判定のほうが優先される。これでよいのか?

 大会会場には私が思った以上に多くの観客が足を運んでくれた。しかしながら、この観客に応える大会運営とはいえなかった。前述したが、休憩時間が長過ぎる。何のための休憩時間なのかも定かではない。また、休憩時間に観客へのサービスも全くない。場内のオーロラビジョンにこれまでの勝ち上がりのビデオや前の日のテレビ東京の中継のダイジェストを流すなど、なにか工夫はできなかったのか。初日は試合に向かう選手の名前もアナウンスされなかった。2日目からは名前だけ。海外からも多くのメダリストが来ていたのだから、選手の戦績、ランキング等を紹介するだけでも観客の興味を引けたはずである。こういったお金をかけなくてもできるであろう少しのサービスがなかったのは本当に残念だった。大会運営が観客に向かっていない。これでは柔道の普及、発展はのぞめない。

 3日間を通しての感想は「長かった」ということ。試合がながかったのではなく、休憩も含めた無駄な時間が長くて疲れた。

 日本選手達の闘いぶり、新しいルールになって柔道がどう変わったか等については次回で。