カフェ・ラベンダー

のんびり気まぐれ生活あれやこれや

「愛を読む人」

2009-06-24 22:56:18 | 映画・ドラマ



          


今日は太極拳の先輩であるHさんとMさんと一緒に公開されたばかりの映画、「愛を読むひと」を見に行った。お2人ともとても映画好きな方々で、私はこの日を楽しみにしていた。

監督のスティーヴン・ダルドリーの「リトル・ダンサー」は大好きだし、「めぐりあう時間たち」も素晴らしかったので期待大だったのだが・・・

映画の設定にどうしてもちぐはぐな印象を持ってしまい、お2人のようにはのめり込めなかったのである。
主演のケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デヴィッド・クロスの演技は素晴らしかったのだが・・・

ケイト演じるハンナは文盲であることを大変に恥じて、申し開きせず嘘の供述をしたため、濡れ衣を着せられる格好になってしまい、終身刑を言い渡された(実際は20年に減刑になった)。他の看守は4年ほど。終身刑になっても口を閉ざすハンナのこのプライドとはどんなものだったのだろう?
ハンナには友達も家族も誰もいなかったというではないか。このぎりぎりの局面にあって、誰に対して恥ずかしかったのだろう? もう失うものは何もないはずだと思うのだけれど。
このプライドで20年の代償と自死とはあまりにむごく重い。

レイフ演じるマイケルも歯痒くもどかしいのだ。事情を知りながら、なんとか手を廻して彼女を助けられたのでは?
確かに彼女を傷つけるのを慮ってあんな方法をとり、本を朗読してテープを送り続けたのは素晴らしいけれど手を拱いているように私には感じられた。
テープを聞くのはハンナの至福の時だった。しかし文盲を知られるのはいっときの恥。こうなったからには早めに出獄させて文字をaから教えてあげることもできたはずだ。

ましてや戦時中、文盲も少なくなかったはずだと思うのだ。恥ずかしいことではないと説くこともできたのでは?

ナチスのしたことは極悪非道なのはもちろんだが、ハンナもある意味、戦争犠牲者なのだと思う。上から命令されたことを淡々とやらなければ罰されただろう。

2人の間の情感はHさんのおっしゃるようにとても素晴らしいけれど、こんなところが気になって気になって、私は映画に入り込むことができなかったのである。

でも何でも言って、と言われストレートに素直に思うことが言えたのはよかったです。

映画の後、ベトナム料理のお店に行き、ベトナム麺(フォー)のランチセットを頂いた。生春巻きとデザート付き。とても美味しかった。
映画のお話、読んだ本のお話、旅行、人生観(これは最近通った臓器移植法を主に)などなど、話は尽きなく本当に楽しいひとときを過ごした。これからも末長いお付き合いを続けていけたら、と思う。

今日はお料理の写真はナシ。