事件の表示 平成元年ワ第1044号
証人調書
(この調書は、第24回口頭弁論調書と一体となるものである。)
期日 平成7年3月9日午後1時30分
氏名 *******(個人情報のため伏せます)
年齢 56歳
職業 公務員
裁判長は、宣誓の趣旨を告げ、証人がうそを言った場合の罰を中止し、別紙宣誓書を読み上げてその誓いをさせた。
速記録 平成7年3月9日
第24回 口頭弁論
事件番号 平成元年ワ第1044号 証人 氏名******
原告代理人(佐藤 太勝)
現在、あなたは、どこでどういうお仕事をされておりますか。
早来町で保健係長をやっています。
当然、保健婦さんの資格はお持ちなんですね。
はい、持っております。
保健婦さんになるためには、何か試験を受けて、資格を取得するということになりますか。
はい、そうです。
国家試験でしょうか。
国家試験です。
甲第90号証ないし甲第92号証を示す。
甲第90号証の陳述書ですが、これは、証人がいろいろお話しになったことを私がまとめて、その内容を確認していただいて、最後に署名捺印をしてもらったという書面ですが、そのとおりに間違いありませんか。
間違いありません。
甲第91号証は医学書院というところから出されている「公衆衛生の灯をともしつづけて」という本の中の証人が書かれている部分を抜粋したものということでよろしいですか。
はい、よろしゅうございます。
「開拓保健婦だった母の影を背負って」という標題で書かれておりますね。
はい。
これを読みますと、開拓保健婦という人がどういう仕事をしていたのかということがこの本の中で分かるということでよろしいでしょうか。
はい。子供である私から見てということですけれども。全体ではありません。
甲第92号証は、北海道立保健婦学院、北海道立衛生学院保健婦科の30周年記念誌、標題が「あすなろ」と書いてありますが、その中の一部が甲第92号証ということでよろしいですね。
はい。
後でお聞きいたしますが、この中では、昭和30年代、保健婦さんがどんな活動をしていたのかということがそれぞれ記載されているというふうに伺ってよろしいですか。
はい。
甲第90号証の1のところにあなたの経歴が書かれておりますね。
はい。
北海道大学医学部付属看護学校を卒業されていますね。
はい。
それから道立保健婦学院を卒業されて、保健婦さんの資格を取られたということですね。
はい、そうです。
陳述書の1の2の中に開拓保健婦という言葉が出てきますが、あなた自身も開拓保健婦の仕事をしていたことがあるんでしょうか。
はい、短期間ですが、ございます。
開拓保健婦というのは、簡単に言うと、どういう仕事をしていた方ですか。
開拓保健婦という制度ができましたのは、昭和20年なんですけれども、敗戦後、外地から引き上げてきた方たちと か復員してきた兵隊さんたちとかが、職がなくなったり、食糧がなかったりした時代に、食糧対策とか職場対策で もあるのかもしれませんけれども、昭和20年の11月に、緊急の閣議決定というふうに聞いておりますけれども、緊 急開拓事業というのがありまして、そこで、緊急に開拓者を全国に入植させたと。その方たちの医療とか健康とか 助産とか、そういうことを守るために配置された保健婦が開拓保健婦と言われております。
開拓保健婦というのは、北海道だけの制度ですか。全国的な制度ですか。
全国的な制度なんです。当時、大体300人くらいの開拓保健婦がおりましたけれども、そのうち100人が北海道にお りましたから、北海道には多かったということになります。
この制度はいつまで続きましたでしょうか。
昭和45年に開拓制度がなくなったときに、開拓保健婦の制度もなくなりました。
あなたは、昭和36年から現在もずっと保健婦のお仕事をされていますが、その間、いわゆる集団
予防接種にかかわったことはありますか。
ずっとかかわってまいりました。
直接予防接種をされたという経験がおありなんですね。
あります。
陳述書を読みますと、昭和37年の2月に根室支庁の開拓保健婦になったというふうに書かれて
いるんですが、そのとおりですか。
はい、そのとおりです。
とある保健婦の証言 -2- へ
にほんブログ村
↑↑↑
クリックお願いします
証人調書
(この調書は、第24回口頭弁論調書と一体となるものである。)
期日 平成7年3月9日午後1時30分
氏名 *******(個人情報のため伏せます)
年齢 56歳
職業 公務員
裁判長は、宣誓の趣旨を告げ、証人がうそを言った場合の罰を中止し、別紙宣誓書を読み上げてその誓いをさせた。
速記録 平成7年3月9日
第24回 口頭弁論
事件番号 平成元年ワ第1044号 証人 氏名******
原告代理人(佐藤 太勝)
現在、あなたは、どこでどういうお仕事をされておりますか。
早来町で保健係長をやっています。
当然、保健婦さんの資格はお持ちなんですね。
はい、持っております。
保健婦さんになるためには、何か試験を受けて、資格を取得するということになりますか。
はい、そうです。
国家試験でしょうか。
国家試験です。
甲第90号証ないし甲第92号証を示す。
甲第90号証の陳述書ですが、これは、証人がいろいろお話しになったことを私がまとめて、その内容を確認していただいて、最後に署名捺印をしてもらったという書面ですが、そのとおりに間違いありませんか。
間違いありません。
甲第91号証は医学書院というところから出されている「公衆衛生の灯をともしつづけて」という本の中の証人が書かれている部分を抜粋したものということでよろしいですか。
はい、よろしゅうございます。
「開拓保健婦だった母の影を背負って」という標題で書かれておりますね。
はい。
これを読みますと、開拓保健婦という人がどういう仕事をしていたのかということがこの本の中で分かるということでよろしいでしょうか。
はい。子供である私から見てということですけれども。全体ではありません。
甲第92号証は、北海道立保健婦学院、北海道立衛生学院保健婦科の30周年記念誌、標題が「あすなろ」と書いてありますが、その中の一部が甲第92号証ということでよろしいですね。
はい。
後でお聞きいたしますが、この中では、昭和30年代、保健婦さんがどんな活動をしていたのかということがそれぞれ記載されているというふうに伺ってよろしいですか。
はい。
甲第90号証の1のところにあなたの経歴が書かれておりますね。
はい。
北海道大学医学部付属看護学校を卒業されていますね。
はい。
それから道立保健婦学院を卒業されて、保健婦さんの資格を取られたということですね。
はい、そうです。
陳述書の1の2の中に開拓保健婦という言葉が出てきますが、あなた自身も開拓保健婦の仕事をしていたことがあるんでしょうか。
はい、短期間ですが、ございます。
開拓保健婦というのは、簡単に言うと、どういう仕事をしていた方ですか。
開拓保健婦という制度ができましたのは、昭和20年なんですけれども、敗戦後、外地から引き上げてきた方たちと か復員してきた兵隊さんたちとかが、職がなくなったり、食糧がなかったりした時代に、食糧対策とか職場対策で もあるのかもしれませんけれども、昭和20年の11月に、緊急の閣議決定というふうに聞いておりますけれども、緊 急開拓事業というのがありまして、そこで、緊急に開拓者を全国に入植させたと。その方たちの医療とか健康とか 助産とか、そういうことを守るために配置された保健婦が開拓保健婦と言われております。
開拓保健婦というのは、北海道だけの制度ですか。全国的な制度ですか。
全国的な制度なんです。当時、大体300人くらいの開拓保健婦がおりましたけれども、そのうち100人が北海道にお りましたから、北海道には多かったということになります。
この制度はいつまで続きましたでしょうか。
昭和45年に開拓制度がなくなったときに、開拓保健婦の制度もなくなりました。
あなたは、昭和36年から現在もずっと保健婦のお仕事をされていますが、その間、いわゆる集団
予防接種にかかわったことはありますか。
ずっとかかわってまいりました。
直接予防接種をされたという経験がおありなんですね。
あります。
陳述書を読みますと、昭和37年の2月に根室支庁の開拓保健婦になったというふうに書かれて
いるんですが、そのとおりですか。
はい、そのとおりです。
とある保健婦の証言 -2- へ
にほんブログ村
↑↑↑
クリックお願いします