織田敏次の講演会に参加した人々のなかに、千葉健次郎という人物が参加していました。彼は1920(大正9)年3月東京で生まれ、1943年7月、東大文学部を繰り上げ卒業し、敗戦の色濃くなった中で海軍に入隊した経歴の持ち主であります。戦後は、夢とロマンを求め、開拓農民として北海道に渡ってきて、戦後共産党に入党し、道東方面で活躍していました。
その後離農し、1977(昭和52年)年に札幌へ転居。1980年夏(60歳)、B型肝炎を発症し、そこで私と彼は出会いました。彼は豊かな経験からすぐに、「北海道ウイルス肝炎友の会」の指導的役割を果たすようになり、新しい戦略へと繋がりました。
道内各地に点在する患者をまとめ、各地に患者会の支部を創るという壮大な計画を立て、ズバリ「肝がん検診」と銘打った検診を道内各地で行うことで一致しました。
このとき私が団長候補に挙げたのは勿論福田守道(わが国の超音波診断の草分け)でした。
夢の実現を目指して、千葉健次郎と私の二人で札幌医大の彼の元を訪ね、福田守道先生も「肝がん検診の構想」を快諾してくれ、検診団の団長の依頼を快く引き受けていただきました。
超音波装置はアロカ株式会社から検診ごとに必要な台数を借りることで決まり、主催は「北海道ウイルス肝炎友の会」と「北海道難病連」に決定し、事務局長には私がなりました。
この超音波検査を主体とした肝がん検診は、1981(昭和56)年11月7日(土)、8日(日)に札幌で始まり、初雪が吹雪に変わる悪天候でした。
しかしこの日には全道から汽車や車、なかには飛行機を使って検診を受診した人もいました。2日間で、117名が受診し、3名の早期肝がんが発見され、この話題は各種のマスメディにも取り上げられ、大成功でありました。
その後は患者会の支部づくりしながら、支部が出来れば、肝がん検診を実施する方法をとりましたので、当然支部はどんどん増えて行きました。
検診の概要は、肝臓病で悩む人、輸血歴のある人、B型肝炎ウイルスキャリアの人を対象にし、C型肝炎が解ってからは、C型肝炎ウイルスキャリアも対象に追加しました。これらの対象者には各支部でマスメディアや広報を使って受診者を集め、各地の患者会で電話での申し込みの受付をしました。
検診当日は「友の会」の役員が受付を行い、受診者にはセルフサービスで検診カードを書いてもらい、さらに検診結果郵送用封書に住所氏名を、採血ラベルにも検診ナンバーと氏名を書いてもらいました。
血液検査では肝機能検査、B型肝炎ウイルスマーカー(その後C型肝炎ウイルスマーカー)を調べ、AFP(肝がんの腫瘍マーカー)の測定も行い、 採血後の超音波検査では、医師と検査技師2人以上のダブルチェックで行いました。超音波検査が終わったところで、肝臓専門医が超音波検査結果の説明や療養相談を行い、約1ヶ月後血液データーが揃った時点で、本人宛に結果を郵送しました。この検診には多くの医療従事者が関わりましたが、すべてボランテアとしました。検診を維持するための必要経費は受診者から貰い、最初の検診料は3000円から初めました。
超音波検査は、まだこのころ医師は勿論、検査技師も育っていなかったため、肝がん検診は各種学会でも話題になり、私に何度も学会のシンポジウムなどで発表する機会がありました。
札幌での成功をもとに肝がん検診は、肝炎患者支部作りをしながら、帯広、函館、旭川、釧路、北見、遠軽、苫小牧、稚内などへと広がっていきました。各地へは日通のトラックを使い、超音波装置を載せて移動し、検診は23年間続きました。
20年間のまとめでは総人数2万4717人、実人数1万3394人で肝がんは177人に発見され、発見率は実人数で計算すると1.3%で、道内の胃ガン検診発見率の10倍でありました。
肝がん検診の前半10年と後半10年を比較すると、明らかに後半10年のほうが生存率は延びています。これは、ラジオ波(約450KHzの高周波のエネルギーで肝がんを焼灼(しょう しゃく)術などの内科治療の貢献が大きかったと思われます。
この肝がん検診の企画から、付き合ってくれた千葉健次郎は、1984(昭和59)年12月肝硬変に肝がんを合併し、1986(昭和61)年8月17日、肝がん破裂による腹腔(ふくくう)内出血を起こし、翌朝7時5分永眠しました。享年67歳。解剖では肝がんはびまん性であり、超音波の名手、福田守道も彼の肝がんはなかなか発見できませんでした。
彼には肝がんを告知しましたが、その後も肝がん検診には同行し続けてくれましたが、彼の両親はB型肝炎ウイルスキャリアではありません。
1995(平成7)年には私たちは北海道勤医協を離れ、稲積公園病院に活動の場を移し、肝がん検診をつつけましたが、2005(平成17)年1月稲積公園病院が標欠(病院の医師数を満していない(標欠)医療機関)ということで、札幌では唯一保険医療機関停止になり、私たちたちが国を相手取ってB型肝炎訴訟を起こしていたことと無関係ではないでしょう。これで私が手がけた肝がん検診は終了致しました。
今は札幌緑愛病院の川西先生が「肝がん検診」を続けています。
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