Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

日本住血吸虫症とC型肝炎

2014年08月25日 08時13分14秒 | 日本住血吸虫症
1.B型肝炎は母児間の垂直感染か、10歳以下の子供の水平感染(集団予防接種)しかキャリアになりません。
C型肝炎ウイルスの感染力は弱く、日常生活で感染することはなく、C型肝炎ウイルスの性感染は1%もありません。
また母子間感染も、せいぜい5%くらいで、しかも感染しても3歳位までに自然と治るのが3割もあると報告されています。
更に、医療事故(針刺し事故)でも、ほとんど感染は見られませんが、刺青(覚醒剤を使用したもの)や輸血、注射器や針を交換しない静脈注射では、簡単に感染します。
つまり、血管のなかにC型肝炎ウイルスが入ると初めて感染するということです。では、日本のC型肝炎ウイルスはどうして、全国に拡がったのでしょうか。
C型肝炎ウイルスは、日本では1880(明治17)年頃入ってきて1920(大正9)年頃から拡がりはじめ、1950年頃から急激に拡がり、1990年頃から拡散は止まったと言われています。
C型肝炎ウイルスの感染力は非常に弱いので、血液を介する要因がないと感染しません。
国立国際医療研究センター国府台病院、肝炎・免疫研究センター長の溝上氏は以下のように述べています。「日本には1880(明治)年頃入ってきた。 1920年に始まるC型肝炎の感染拡大は、日本住血吸虫に対するアンチモン(スチブナール)の不潔な注射器具の使い回しによる静脈注射が原因である。 その後わが国では開業医の注射器具の使い回し、覚醒剤の蔓延、売血が感染拡大に関与していたが、1992年には感染は止まった」(肝疾患Review,34, 2006-2007 2006)と言っています。
日本住血吸虫症は地方病であり、山梨県・広島県・佐賀県・福岡県などに患者が多いため、福岡県・佐賀県の医師会に問い合わせた所、注射器を使い回した事実はないとのことです。
「寄生虫と百年戦争」の著者にも問い合わせたが、極めて不機嫌な声で山梨県の医師会ではそのような事実はないと結論づけたということです。
大正11年3月、萬有製薬株式会社は伝染病研究所付属病院長 宮川米次の依頼を受けて、スチブナールを製造販売しました(五十年のあゆみ、萬有製薬株式会社、1964)。
同年11月より山梨県の開業医、三上三朗は「日本住血症300例に治験を行い、スチブナールの効果は絶大で何ら副作用もなかった」と発表しています(スチブナールによる日本住血吸虫病患者による治験実験 実験医学:9 1330-1339、1923)。更に昭和6年には寄生虫病予防法(法律第56号)ができ,日本寄生虫と診断されたものは強制的にスチブナール(静脈注射)の集団接種を受けることになり、これは日本住血吸虫症が撲滅されるまで続きました(佐賀県の日本住血吸虫病-安全のあゆみ、佐賀県、1991)。 
スチブナールは戦前、戦後を通じ、国が使用したので宮川米次は膨大な富を得ています。
また宮川米次は戦前、伝染病研究所の第5代所長として中国で生体実験を繰り返した人物です(検証・中国における生体実験、桐書房、2013)。「死の貝」(小林照幸著、1998)によると、スチブナールによる副作用があり、死亡者も出たということです。
静脈注射の集団注射であるから、当然劇症肝炎になって死亡した人も多いのは当然であるが、小林照幸はC型肝炎についても何も述べていません。
医者を取材するとき肝炎問題は、ご法度です。
日本住血吸虫症は地方病であり、私ども北海道ではほとんど例がありません。
ぜひ過去に日本住血吸虫病の治療を行い、C型肝炎で悩んでいる方は名乗り出てほしいと思います。
ともに国の杜撰な集団予防静脈接種に対して、ともに闘ってゆきたいと考えています。

2.日本住血吸虫症が発見されるきっかけとなったのは、明治政府が富国強兵を進めるなか、徴兵検査官として、東京から山梨に石井良斉が派遣されてきました。
石井良斉は1885(明治18)年、甲府盆地で徴兵検査を行ったが、体格不良者があまりにも多いことに疑問を感じました。
17~18才というのに、体格も顔つきも10才前後のようで、体格不良者に原因を書かせると、「飲料水が悪い」「水腫脹満(すいしゅちょうまん)」という風土病が、原因と答えたものが大半でした。広島にも同じ病気があり、「片山病」とよばれ、久留米では「マンプクリン」とよばれていました。
これらの病気の末期になると腹水が貯まり、何度腹水穿刺を繰り返しても同じことでした。
この病気の本態を突き詰めるきっかけは、杉山なか(50才代の女性)の解剖でした。
彼女は1897(明治30)生前の遺言で解剖がなされ、肝臓、胆のう、胆管、十二指腸には、おびただしい寄生虫は見つかったが、母(おや)虫は見つからなかったが、何の寄生虫が明らかにできなかったのですが、地方病で「寄生虫病」であることは、ほぼ明らかになりました。
しかし寄生虫の本態は解りませんでした。
桂田富次郎(かつまた さぶろう)は水腫脹満の原因となる虫は、人間以外の宿主で、猫、犬、牛、馬などの家畜にも寄生すると推理しました。   
1904(明治37)年4月9日、桂田富士郎(かつらだ ふじろう)の考えに賛成した三上三朗は、地方病にかかっていると思われる痩せた飼い猫「姫」を解剖しました。
その後アルコール液につけられていた「姫」の肝臓のなかに、雌雄抱合(雄が雌を抱きかかえるようになったもの)の寄生虫を発見し、これでこの病気を日本住血吸虫症と呼ぶようになったのです。
これをもって日本住血吸虫症は、人畜共通の寄生虫であることが明らかになったのですが、日本住血吸虫症になる原因の2点が未だ謎に包まれていました。
第1点は「人間や家畜などの宿主から発生した日本住血吸虫の卵は水中でどのように発育していくのか。」つまり日本住血吸虫症の卵から幼虫になるまでの「生活史」が不明でした。
糞便内の卵を流行地と同じ温度した水に入れた所、多数の毛の生えた楕円形の幼虫が孵化しました。
これを寄生虫学用語で「ミラシジウム」と呼び、雄雌ともに長さ0.1ミリ、幅0.04ミリでした。
猫やネズミの足をミラシジウムで満たした水の中に入れても感染しないばかりか、ミラシジウムは24時間以内には死滅しました。
第2点は「皮膚から入った幼虫はどのようにして発育して門脈に移行して成虫になるのか」という問題でした。
そこで流行地の河川で感染すると、どうなるかの研究に力が注がれました。
流行地の河川に、兎や犬の動物の足をつけさせ、1日に3時間、4時間、5時間、6時間と水に浸します。
水に浸してから、2時間から24時間と1時間ごとに、股静脈(こじょうみゃく)から採血して調べると、形態的に違った幼虫が確認できました。
オタマジャクシの頭を潰したような尾を持つ形態で、頭部の長さと尾の長さは同じでした。
全長はミラシジウムより小さく約0.04ミリ、頭部の幅は0.01~0.02ミリで、腹には吸盤があり、口から肛門まで消化管を持っていました。
これは幼虫になる最終段階のものであり、寄生虫学用語で「セルカリア」というものです。
ところがミラシジウムからは、ミラシジウムから直接「セルカリア」にはなりません。
これを説明するには、中間宿所(ミラシジウムがセルカリアにかわる)が必要なのです。
1913(大正2)年7月半ば、久留米の農村(鳥栖市基里村)に、幅1m深さ60cm程の底が浅く流れが比較的穏やかで、藻が石や泥にこびりついた、なんとはなしに毒々しい100mを少しでるか、という長さの溝渠(こうきょ)があり、水田への供水用に江戸時代半ばに作られたものがありました。   
宮入慶之助と鈴木稔は、この溝渠(こうきょ)にハツカネズミを浸して、研究室で経過を観察したところ、2日ほどして体調を損ない3週間で死亡しました。
解剖したところ、門脈に多数の日本住血吸虫がみつかったため、中間宿主はこの中にいると確信し、柄杓(ひしゃく)で軽くすくってみると、長さ1cmにも満たない、ほとんどが4ミリ~5ミリの焦げ茶色をした光沢を持った巻き貝がびっしり入っていました。
この貝のなかで、ミラシジウムから人畜に感染するセルカリアが出来ていたのです。日本住血吸虫の中間宿主の発見でした。
以降、この貝はミヤイリ貝と呼ばれるようになり、これで原因は明らかになり、有病地はミヤイリ貝の駆除に全力をあげることができました。
感染経路については、経口感染、経皮感染説に対する実験が行われたが、結果的に経皮感染説が正しいという結論に達しました。
幼虫(セルカリア)が皮膚の静脈へ入り、腸管の静脈から門脈へと移動します。
更に幼虫は肝臓のなかに入り母虫になり、門脈内が卵で一杯になり、門脈圧亢進がおき、肝硬変と似た症状を起こすことが解りました。
感染経路が明らかになってから、その治療としてスチブナールが使用されました。
戦前戦後(日本住血吸虫症が絶滅するまで)このスチブナールの集団強制接種が続いたのでした。
国は自ら注射器の使い回しを行っていたので、無知な医者よる注射器具の使い回しを、放置せざるをえなかったと言えます。

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B型肝炎訴訟弁護団の守らなければならないルール

2014年08月01日 15時12分14秒 | はじめに
1972(昭和47)年1月、日赤血液センターではHBs抗原検査を始め、陽性者はB型肝炎ウイルスキャリアとして輸血から除外しました。
1989(平成元)年12月にHBc抗体検査を導入し、高力価のものはB型肝炎キャリアと判断し輸血から除外しました。
2012(平成24)年8月にはHBc抗体低力価でもHBs抗体陰性のものはB型肝炎キャリアとして輸血から除外しました。
このことはHBc抗体低力価でHBs抗体陰性であれば、B型肝炎キャリアであると日赤が認めているということです。

B型肝炎訴訟弁護団の方々はこのルールを守っていかなければならないのではないでしょうか。


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