Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

いよいよ書籍発売!

2019年07月09日 17時53分05秒 | 書籍の案内
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屈折回路

2015年01月09日 15時19分11秒 | 書籍の案内
これは松本清張の推理小説であるが、水が原因とされる小児マヒの大流行が1960(昭和35)年には北海道で、翌年には熊本から九州へ大流行が起き、更に水が原因とされる猿島の肝炎の大流行、「猿島の奇病」(蟹崎の奇病)に同一人物が浮かび上がってくる。
それは日本医大教授の乗木秀夫(H大学桑木教授)である。桑木教授が石井部隊(石子部隊)とも関わっていることもうたがわれる。
残念ながら、「屈折回路」はノンフィクションでなく、フィクションである。しかし松本清張は、乗木秀夫に注目していたに違いない。
小児マヒと「猿島の奇病」を引き起こしたのは日本医大教授の乗木秀夫と確信していたとおもわれる。
北海道の小児マヒの流行については札幌医大衛生学教室の金光正次(かなみつ まさつぐ)が1960(昭和35)年5月31日前橋で行われた日本公衆衛生学で、この夏北海道でポリオ(小児マヒ)が流行する危険が迫っていると報告した。
報告後の20日ほどたった6月半ば大夕張(夕張炭鉱の奥の炭鉱町で、今はダムになっている)に患者が発生したのを機に、道内だけで通算1609人になった。
翌年北海道とは程遠い煙をふく阿蘇のふもと、海抜600mの町。阿蘇郡高森(たかもり)町にポリオは出現した。
大流行の兆しを見せ、ついに厚生大臣古井善実(ふるい よしみ)は、1961(昭和36)年6月22日ソ連からポリオの経口生ワクチンを輸入する英断を下し、ポリオ根絶の道を開いた。
 一方ポリオ問題の解決後猿島の奇病が起きた。
猿島の奇病(肝炎)は1963(昭和38)年から1967(昭和42)年まで続き、776名の肝炎患者と死亡者61名を出して終焉した。
我が国最大の肝炎流行である。
ポリオと猿島肝炎のことについて「乗木秀夫教授開講10周年記念研究業績、1970」のなかで乗木秀夫は「「本教室にポリオウイルスの分野を導入した。同じ糞口感染の域にあるが本教室には土着せず、(中略)猿島肝炎の問題には正面から取りくんだのは若い教室員であった。ポリオについて成功しなかった糞口ウイルス性伝染病が、ようやく土着した。」と自ら告白している。




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