台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ 147 ふたりの母

2013-01-27 00:13:55 | 台湾
私には、母が二人いた。本当の母と義理の母。俺のお袋は、いつもいつも働くだけ。子供ため、縫い物したり、料理したり、商いをしたり、常に体を動かし、生活していた。
 一方、義理の母も、働き者であることは、同様。私は、今二人とも、天国へ逝っているが、尊敬している。
 私のお袋は、愛情が濃い。いつも孫や私の顔を見るため、早起きして、餅を揚げそれを東京から春日部まで持ってきてくれる。朝の8半時にうちの玄関でたっている。約二時間かけて、孫のところに来て
四時間ぐらい居て、さっさと帰る。泊まっていけと言っても、絶対にとまらない。
また、餅の揚げたものは、俺の大好物。俺が食べる時、まだ温かいときがある。そんな母だ。孫と公園で
少し遊び、楽しそうにしている母。亡くなって、三十年も経つ。けど、母の想い出は尽きない。苦労を苦労と思わずにいつも体に鞭打って、働く母だった。本当に働くことの好きな母だった。
  一方,義理母も働き者で、とても頭のいい人。読売新聞の言葉のクロスゲームを毎週やっていた。
いろんなことを知っているし、聡明な方と思う。母は、三年前に亡くなっている。
 義理の母は、16年前に脳梗塞で左半分麻痺があった。倒れ時から母の車椅子生活が始まった。
彼女も健常な時は、私の母と同様、いつも体を動かし、家族のために、うどんを作ったり、料理作ったり常に体を粉にして働いていた。
 車椅子になっても、その勤勉さは、変わらない。本を読んだり、書道したり、本当に、これが半身麻痺の人が書いた書道と思えないくらいうまい。俺の部屋には、まだ、母の書道あるかな?。
この世代の人は、子供のため・孫のために生きることが自分の「しあわせ」なのだとおもう。だから、あまり、自分のために何かすることは、ないのかな。旅行等は、二人とも行っていたようだが・・・。
私は、この二人の母の子供に生まれて「しあわせ」だと思う。一人の母からは、「愛情」をもらい、もう人の母からは、知的に生きることの楽しさを教えてもらった。本当に不肖な息子だが、二人の母の名を汚すことなく、生き抜きたい。
 やはり、私のルーツは、母親。生んでくれて、ありがとう。あなたの子供であることを、誇りに思っています。いつまでも、見守ってくれてありがとう。Kの面倒も見てくれ。もう・・・・。
遠からず、わたしも、そっちに逝く。そしたら、俺に酒を注いでくれ、お袋は、ジュースでいい。ふたりで乾杯。変だよ。親父をよばなくちゃ。五人でかんぱーい。みんなで仲良く暮らしている姿が見えるようだ。
 今回のブログは、もうこの世にいない天使のお話でした。
今私は、台湾で二人のお袋から、学んだことを実践しています。私の本質は、働き者、サボることは・・・・。
けど、エッチなことも・・・・。好き。
お袋、ありがとう。この間抜けな私を遠くで、暖かく見舞ってくれて・・・・。



                                     再見。