台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

 ブログ137 わが息子への手紙ー病院での思い出ー

2013-01-17 00:03:14 | 台湾
私は、昭和58年三ヶ月息子を看病しました。
昭和58年息子が病気で東京医科歯科病院に入院しました。今も、御茶ノ水に行くたびに、Kのことを思い出します。
 私の最初の息子、名前をKと言います。彼の頭とても良かった。私に似ていないから・・・。IQ非常に高かったようです。
私の奥さんは、とても頭いい人。
良かったのか?頭より健康のほうが大切。俺に似たほうが、頭悪いけど、健康。おれは、馬鹿です。けど・・・・
 私の息子生きていれば36歳。
今、一緒に生活いていれば、「彼のことを大切にします。」
今、台湾生活しています。日本にいるときより、俺は、とても真面目。毎日、日本での生活を後悔しています。なぜ?
 日本にいる時、ギャンブルにおぼれていました。だから、年中、約束を破っていました。いつもいつもパチンコ・マージャン・・・。
息子と奥さんがいつまでも・いつまでも俺の帰りを待っているのに
・・・・。ごめんなさい。
 日本では、私と家内の間で、そのことで、私のお母さんが喧嘩になります。いつの間にか、・・・・。夜なのに・・・。寝ていたはずの君がいつの間にか、夫婦の会話聞いている。
君が起きて来て、君は、「泣きながら、お母さん虐めちゃ嫌だ。」
私は、「ごめんね。俺が遅く帰ったから・・・・。」お母さんがあなたを抱きしめて、再び布団へ。
「お父さんと喧嘩してたんじゃないの?」《していないわよ》「あなたは、安心して、寝て・・・・」「うん」
 年中泣かして・・・・・。
病気のことは、前にも書きました。
君の誕生日病院で迎えました。昭和58年10月31日。
そして、その7日後、君は、永眠しました。昭和58年11月7日。

彼の病気、歌手の徳永と同じ病気。その当時の難病。通称「モヤモヤ病」とてもとても怖い病気。
 わたしは、君との最期の会話。君が言った台詞。
「おとうさん、行っちゃ、嫌ーーーーーー」

じろうの一番の後悔。せめて、今度君に会うときは、治郎は、生まれ変わっています。
絶対に幸せにします。
 これ以上文章書けません。