ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

オランジュの聖母マリア像と革命時の悲劇

2021-11-07 07:23:03 | フランス物語


画像はサン・トゥトロップの丘に建てられている聖母マリア像です。
ぬけるような青空のもと、白い聖母が静かに街を守護しておられます。
グーグルマップに投稿されている写真から、土台に刻まれている説明文を読むことが出来ました。それによると1857年10月25日にアヴィニョン大司教であるJean-Marie Mathias DEBELAYにより、おごそかに除幕式および祝福式が行われたそうです。
丘の上の像としては、ヴィエンヌの古代劇場の上に建てられていた物を思い出しました。
ヴィエンヌのそれはオランジュと違い聖母子像でした。
聖母像か聖母子像を選ぶ基準というのはあるのでしょうか?訴えかける内容が微妙に違ってくるのでしょうか?
地理的傾向やその街の歴史なども影響するのでしょうか?
オランジュの場合、ひょっとしたら、これから記述する革命時の修道女の悲劇が関連しているのかもしれません。

La Révolution, l’Empire et la Restauration
1790 : Rodolphe d’Aymard, premier maire d’Orange, intervient à la tête de la Garde Nationale pour mettre fin aux émeutes des 10 et 11 juin 1790 à Avignon.

革命、帝政、王政復古
1790年:オランジュの初代市長であるロドルフ・ダイマールが国家防衛隊の長として介入し、1790年6月10日と11日のアヴィニョンでの暴動に終止符を打った。

1793 : création du département de Vaucluse auquel Orange est attaché.

1793年:オランジュが属するボークリューズ県が創設されました。

1794 : Le tribunal révolutionnaire sévit à Orange comme dans le reste de la France. 332 personnes sont exécutées. Les Bienheurese d’Orange. Dans le prolongement de la cathédrale, du côté sud, une belle maison a servi de prison en 1794. C’était "la prison de la cure" ou du "temple de l’Être suprême". 32 religieuses expulsées de leur couvent de Bollène y furent incarcérées avant d’être jugées et condamnées à mort. En 2006, symboliquement, c’est à la chapelle Saint-Louis, où celles que l’on connaît désormais comme les Bienheureuses d’Orange comparurent devant le tribunal révolutionnaire, que la Ville a fait jouer une tragédie historique de Jacques Lorcey, "Procès à Dieu ou les Martyres d’Orange".

1794年:革命裁判所は、フランスの他の地域と同様にオランジュでも猛威をふるいました。332人が処刑されました。オランジュの福者。大聖堂の延長線上にある南側の美しい家は、1794年に刑務所として使用されました。それは「治療の刑務所」または「最高存在の神殿」でした。ボレーヌの修道院から追放された32人の修道女は、裁判にかけられて死刑を宣告される前に、そこに投獄されました。2006年、象徴的に、サンルイ礼拝堂で、以後オランジュの福者が革命裁判所の面前に出廷した場所として知られていますが、市はジャック・ローシーによる歴史的な悲劇「神またはオランジュの殉教者への裁判」を演じました。

1824 : Début des travaux de restauration du Théâtre Antique par Auguste Caristie, architecte des Monuments historiques.

1824年:歴史的建造物の建築家オーギュスト・カリスティによる古代劇場の修復作業の開始


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サン・トゥトロップからの眺めとオランジュ近代史

2021-11-06 07:39:19 | フランス物語


再びオランジュのサン・トゥトロップの丘からの眺めです。
中世史に引き続きオランジュの近代史を掲載します。

Les temps modernes
1620 : Maurice de Nassau transforme le château des Princes en une puissante citadelle.

近代
1620年:モーリス・ドゥ・ナッソーは大公の城を強力な城塞に変えます。

1665 : Guillaume III d’Orange. Il deviendra roi d’Angleterre en 1689.

1665年:オランジュのギョーム3世。彼は1689年にイングランドの王になります。

1673 : destruction totale de la citadelle d’Orange sur ordre de Louis XIV. Ruines du château encore visibles sur la colline.

1673年:ルイ14世の命令によるオランジュの城塞の完全な破壊。城の廃墟は今でも丘の上に見えます。

1702 : mort de Guillaume III de Nassau. La Principauté échoit au prince François Louis de Bourbon, de la maison de Conti.

1702年:ナッソーのギョーム3世の死。公国は、コンティ家からフランソワ・ルイ・ドゥ・ブルボン大公に委ねられます。

1703 : prise de possession de la principauté par Louis XIV. Expulsion des protestants.

1703年:ルイ14世による公国の所有。プロテスタントの追放。

1713 : première annexion officielle de la Principauté au Royaume de France par le traité d’Utrecht.

1713年:ユトレヒト条約によるフランス王国への公国の最初の公式併合。

1718 : restitution de la Principauté à Louis-Armand, Prince de Bourbon-Conti.

1718年:公国をブルボンコンティ公ルイ・アルマンに返還

1720 : la peste frappe Orange et fait 550 victimes.

1720年:ペストによりオランジュで550人の犠牲者を出す。

1731 : cession définitive de la Principauté rattachée à la province du Dauphiné sous Louis XV.

1731年:ルイ15世の下でドーフィネ州に併合する公国の最終割譲。

1757 : ouverture de la fabrique de cotonnades imprimées dites "indiennes" des frères Wetter.

1757年:ウェッテル兄弟のいわゆる「インディアン」プリント綿工場の開設。

この年表を読んでいると、ルイ14世などフランスによるオランジュ侵攻という感じがしました。
手元にあった「第2版 ヨーロッパ歴史地図」(原書房)を見ると、1328年の地図から1699年の地図まで、一時外れている時はあるものの、オランジュは教皇領アヴィニョン(ヴェネサン)にへばりつくような形ですが、オランジュが独立した場所として描かれていました。
国の歴史ではなく、街の歴史を眺めていると、また違った視点が出てくるものです。
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お見送りするにゃんこ(=^ェ^=)

2021-11-03 07:13:35 | 小説


うちのにゃんこです。
時々このように、仕事に行く時に見送りしてくれます。
「仕事、頑張ってくるのにゃ(キリッ)」



「忘れものはにゃいかなぁ?」
とも見えますが、にゃんこは単にカバンと遊んでいるだけでしょうね



ふにゃあ~、行ってらっしゃいなのにゃ~
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