ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

光の演出(ジェロニモス修道院)

2006-02-15 22:53:08 | ヨーロッパ旅行記
ベレンの搭を出ると昼過ぎになった。食事をできるところを探す。
ほろほろ探しているうち、現代的な建物があったので中に入ってみる。ベレン文化センターといい、コンサートや演劇なども行われているとこらしい。
中で軽食を取れるところがあったが、味気なく思い、すぐ出てしまった。
更に東に歩いていくと、広い駐車場の近くで、マクドナルドの看板を見かけた。しかしさすがにリスボンまできて、二回もマクドナルドに行く気にはなれない。
と思いつつ建物に近寄ると、こじんまりした気楽な感じの地元料理店があった。定食いくらと手書きで表示していた。店に入ってみる。
他の客を見ると、褐色の肌の若い女性が一人で食事をしたりしていたので、何となく安心し、ここに決めた。
ここで何を食べたか、今となっては思い出せない。ただ赤ワインを昼間から飲んだことは覚えている。最後はコーヒーでしめたはずだ。

食事を済まし、ジェロニモス修道院に行く。
まずここのサンタ・マリア聖堂に入る。薄暗い中、前方の聖壇のところだけ輝いており、強い印象を与える。対面する中二階のような聖歌隊席からみると、独特の装飾をほどこした柱の効果もあり、厳粛な雰囲気を醸し出している。
またこの修道院は、回廊もよく出来ている。幅広い通路の上に、アーチが広がっており、なおかつここにも細かい装飾がほどこされている。そして外の斜光を受けていた。
赤ワインのせいもあったのかもしれないが、雰囲気に少し酔う事が出来た。

ポルトガル黄金期の建物を出、再び市電に乗り東に向かう。
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川縁にたたずむ公女(ベレンの搭)

2006-02-12 23:23:11 | ヨーロッパ旅行記
「発見のモニュメント」の展望台を降りる。
そばの広場には、世界地図があり、ポルトガルが「発見した」年号が書かれている。日本のところには1541と書かれていた。この年は、ポルトガル船が豊後に漂着した年らしい。
こういうモニュメントや地図を見ても、当時、ポルトガルなどが、植民地を探すのに躍起になっていたことがうかがえる。それにしても、本当に日本が植民地という名の餌食にならなくて良かったと思う。当時の日本の施政者が、対外的に妥当な政策を行ってくれたおかげだと思う。

発見のモニュメントから、ベレンの搭に向かう。搭の場所は、モニュメントと同じく河岸にあるため、本来だと河にそってまっすぐに進んでいけばよいのだが、途中船の繋留所の入り口のため行き止まりになっている。仕方なく遠回りをして、公園の側からベレンの搭に向かう。

公園の緑の木々の向こうに、白い姿はあった。司馬遼太郎氏は「テージョ川の公女」と呼んだらしいが、確かに白く、こじんまりとした姿は気品を感じさせる。
中に入る。川に突き出た場所から搭を見上げる。
搭の中を登っていく。東のテラスからは4月25日橋があいかわらず霧にかすんで見える。またクリスト・レイもうっすらとだが確認する事ができた。
搭の1階は水牢になっており、薄暗い。ここは歴史の暗部として、様々な人が閉じ込められたそうだ。
ベレンの搭を出て、ジェロニモス修道院に向かう。
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河口都市リスボン

2006-02-11 23:05:27 | ヨーロッパ旅行記
ポンバル侯爵広場の観光案内所で翌日のバス旅行の手配をした後、地下鉄に乗り南へ下り、テージョ河沿いのカイス・ド・ソドレ駅に到着する。結構新しい感じの駅から地上に上がり、1日使い放題のチケットを買い、市電に乗る。向かう先はベレン地区だ。
市電はやはり古い型だ。とりあえずこの時のリスボンの街にはこちらのほうがよく似合う。ガタガタ音を鳴らしつつ進む。
ベレン地区に到着し、河沿いに出る。河といっても、ほんと海の手前なので幅が広い。瀬戸内海の風景に慣れたものにとっては、ほとんど海という感覚だ。
この河には、4月25日橋と言う、全長2278mの吊橋がある。世界で3番目に長い吊橋らしい。この4月25日というのは、この橋ができた日ではなく、「リスボンの春」という無血革命により、新政府が誕生した1974年の日だそうだ。それまでこの橋は独裁者の名前で呼ばれていた。まあポルトガルにとって、記念すべき出来事である。おごれるものも久しからず、ただ春の世の夢の如し、と冬のリスボンにて思う。
この日はまだ霧が晴れておらず、橋がかすんで見えた。対岸には「クリスト・レイ」という巨大なキリスト像があるらしいが、残念ながらよく見えなかった。
河に突き出ているような、白い巨大なモニュメントがある。いろんな人の像が河を見つめている。これが「発見のモニュメント」と呼ばれているもので、高さ52mある。てっぺんは狭そうだったが、エレベーターで上に登れるとのこと。確かに下から見ると、そこには小さい頭がちょろちょろ動いていた。自分も1.8ユーロ払い、上に登る。
展望は360度、陸地側を見ると、ジェロニモス修道院の整った全体の姿を楽しむ事ができる。その前の公園も正方形のデザインでバランスよく配置されていた。
さらに西側を見ると、ベレンの搭がぽつんと立っている。次行きますよ、と目でメッセージを送り、エレベータで降りていった。
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霧にかすむリスボン

2006-02-05 00:14:50 | ヨーロッパ旅行記
リスボンに戻り、暗い中、夕食を取りに行く。
場所は、前日は閉まっていた、ホテルの近くの日本料理店だ。岬をさまよい山に登り城跡をよじ登った後なので手軽に済ましたくなる。
前日と同じ道を通る。謎の立ちんぼ男はこの日はいなかった。また雨も降ってなかったので、そんなに怖い感じではなかった。
店に入る。そこそこ高級な感じだ。てんぷら定食と日本のビールを注文する。
客は6割くらいは日本人だったが、ちゃんとした身なりをした現地の人もいた。
食事を済まし、お金を払う。ここでのレシート表示は、それぞれの料理はまだポルトガルの通貨で、合計金額のみユーロも併記されていた。

翌日、目を覚まし、窓から外を見る。
かなり霧が濃い。
とりあえず、エヴォラという街にでも行ってみようかと思い、アルコ・ド・セゴ・バスターミナルまで地下鉄に乗って行く。
サルダーニャ駅で降りる。外に出ると、オフィス街だった。霧が深く、ビルもかすんでいるような感じだ。
バスターミナルに着く。そこでエヴォラ行きのバスを探すが、どうもそれらしきバス乗り場がない。すぐに諦め、また地下鉄に乗り、ポンパル侯爵広場あたりの旅行案内所で、翌日のバスツアーの予約をする。
オビドス・アルコバサ・ナザレ・バターリャ・ファティマを回る1日コースだ。昼食は抜きにして、64.84ユーロだった。
こういうバスツアーはあまり得意ではない。知らない人と一緒にバスに乗るのは基本的に苦手だ。しかしながら効果的にいろんなとこを回れるのはありがたい。ダブリンやストラスブール、トゥールなどでも利用した。

支払いを終わり、ポンバル侯爵の高い像を見上げる。霧のせいで、バックのビル群がほとんど見えなくなっていた。白い背景のもと、侯爵はすっくと立っていた。
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シントラ慕情

2006-02-01 22:50:23 | ヨーロッパ旅行記
ムーアの城跡から、どんどん山道を降りていき、シントラの街に向かう。
分かれ道があることはあったが、ちゃんと標示があり、道に迷う事はなかった。
シントラの街に着く。ここの王宮を見学する。
この建物は、とんがりコーンのような、二本の煙突がシンボルである。この煙突の下は台所になっている。
午後4時半過ぎに王宮に入る。入場時間が5時半までなので、足早に見学する。
ここでは「紋章の間」が印象に残った。白地に青の装飾タイルで彩られている部屋だった。

見学し終わった後、山上のムーアの城跡を見上げる。
柔らかい夕陽に照らされて、しっかり山上にへばりついていた。

街中から駅に向かう。さすがに道には迷わなかったが、近そうな割にくねくね曲がっており、わかりにくい道だった。
切符を買う小銭があるか心配になる。駅員がいるかどうかよくわからなかったので、販売機だけだと小銭がいる。ただたとえ小銭があったとしても、ユーロが通用しない可能性もあった。ユーロ移行期は余計な事で神経を使った。

無事切符を買い、リスボン行きの電車に乗る。かなり暗くなった中、電車は東に走っていく。
窓から外を見る。アパートのライト、グランドの照明などがまばゆく光る。なんとなく人恋しくなる。
グランドでは未来のフィーゴ達が一生懸命ボールを追っかけているのだろう。
夕闇の中、電車はロシオ駅に到着する。
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