--Katabatic Wind-- ずっと南の、白い大地をわたる風

応援していた第47次南極地域観測隊は、すべての活動を終了しました。
本当にお疲れさまでした。

越冬交代

2006-02-14 | 南極だより
「しらせ」が離岸して、いよいよ本当に越冬が始まったのを期に、そろそろ書いてみない?と「越冬交代式」の記事をねだってみました。
越冬交代に対しての思いと、S17から帰ってきて機を逸してしまったということでなかなか書けずにいたのだろうと思うのです。
ここを逃したらたぶん書くことはないだろうと思ったので、思い切って言ってみて正解でした。
他の日ならともかくも、越冬交代式の記事は抜けるわけにいかないですものね。
もったいぶってしまいましたが、さっそくお届けします。
--------------------------------------------------------
2006年2月1日(水) 曇り時々晴れ 越冬交代

今日、ついに越冬交代となる。
仮の住まいであった1夏、2夏から居住棟へ移る。
基地の運営も46次から47次へ。
これまで引継ぎをしてきたとはいえ、これほどまでにスパッと切り替わるのも潔ぎよい。

今日は目まぐるしいスケジュールとなった。
朝7時過ぎ2夏を引き上げ、これまで一緒だった夏隊は1夏へ、我々越冬隊は居住棟へのトラックに別々に荷物を積む。
別々にだ。
2夏は46次隊の残留組が使うことになる。

9時からは越冬交代式。
19広場前で渡邉46次越冬隊長、神山47次越冬隊長の挨拶の後、46次、47次全隊員の氏名が読み上げられる。
越冬に入り、これから昭和基地を維持していくことを実感する瞬間だ。
これまで積み重ねてきた歳月、これからの重責、南極、昭和基地、越冬を実感したのはこの時かもしれない。
向かい合っていた46次と47次がその場所を交代。
越冬交代宣言が告げられる。

これから47次で一年なにが起ころうともやって行くということ、
来年は間違いなく向こう側の立場に立っているということ、
そしてこの一年はおそらくあっという間であるだろうことを思う。

46次隊の多くはその後Aヘリへ。
すぐにしらせに帰還するのだ。
47からの見送りの垂れ幕の言葉は
「昭和通信、昭和通信、46次隊 これから日本へ帰ります」
「47次隊 了解 気をつけて!」
夏作業中、通信で交わされた46次H氏と47次H氏の名物無線交信がネタなのだ。

見送りの後は、居住棟に入居する。
布団、サンダル、スリッパの配布もある。
下駄箱には既に名札が張ってあった。
庶務の山口さんの仕事だろうがこれは心憎い。
南極、昭和基地に歓迎されているようで嬉しかった。


---本日の私の行動---
2夏から2居107号室へ転居
越冬交代式
私物搬入
モニタリング観測
全体ミーティング、
越冬隊ミーティング
S17ミーティング

---本日の47次隊の行動---
夏宿から2居へ転居
越冬交代式
私物搬入
全体ミーティング

<日の出日の入>
日の出  2:44
日の入  22:22
<気象情報>
最高気温  -0.3℃
最低気温 -3.4℃
平均気温 -1.6℃
平均湿度  78%
平均風速 1.4m/s
日照時間 5.6時間

気象庁webより
---------------------------------------------------------------------
もう1年以上も前「南極に行くかもしれない」と渡井さんから最初に伝えられたとき、私の第一声は「ホント?越冬だよね?」でした。
渡井さんはずっと越冬を願っていたことを私は知っていたからです。
ずいぶん長い間、南極へ行くこと、それも観測隊として越冬することを目標に頑張ってきたのを見てきたので、この日は浮き足立ってしまうほど落ち着かない一日を過ごしていました。
いよいよこの日が来たのです。
思えば「しらせ」が晴海を出発する日も、隊員が成田を発つ日も、フリーマントルを発つ日も、第一便のヘリが飛んで翌日渡井さんが昭和入りをした日も、毎回「いよいよこの日が来た」と思っていました。
でもそれぞれに思いが少しずつ違い、そしてたぶん「いよいよ」と思うのはこれが最後になるのだと思います。
「南極越冬記」を読んで、常に新しいものに挑戦し切り開いてきた観測隊員の姿、十分な観測機器のない中で手元にある全てのものを駆使して観測を続ける姿勢や危険と闘いながら歩み続ける姿勢を知ることができました。
当時とは違うところだらけなのだとは思いますので、同じようにとは思っていませんが、1年の越冬の中で渡井さんはどんな姿を見せてくれるのかとても楽しみにしているのです。
どうか、注意深くそして大胆に!

最新の画像もっと見る