--Katabatic Wind-- ずっと南の、白い大地をわたる風

応援していた第47次南極地域観測隊は、すべての活動を終了しました。
本当にお疲れさまでした。

越冬交代 47次から48次へ

2007-02-02 | 南極だより
何となくまだ越冬交代をしたことにピンと来ないまま日中を過ごしました。
早く、隊員さんたちの気持ちに近づきたい、そう思いました。
今日の仕事が強烈に忙しくなかったら、危うく気持ちだけ南極に逃避してしまうところでした。
それでは、渡井さんからの南極だよりです。
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2007年2月1日(木)曇り 越冬交代

1時間ほど仮眠をとることができた。
1月26日以来、居住棟のベッドで寝ていなかったので、最後くらいは居室でちょっと横になってみたかった。
ただし寝過ごすといけないので、電灯はつけっぱなし、ドアも開けっ放しである。

食堂や洗面所のゴミを集め、集積場にあったその他のごみと一緒に焼却炉棟に運搬する。
居室の掃除も行い、しらせや残留作業中の仮の住まいとなる2夏に運搬するため、私物をトラックに載せる。

#きれいに片付けて、48次に引き継ぐ

越冬交代式は19広場で行われる。
テーブルを3つ並べて白い布をかけ、マイクセットを置く。
その脇では48次隊が私物を防Bから居住棟に運ぶ。

越冬交代式は昨年と同じ曇り空の下だ。
昭和基地の看板を前にして、向かって右側の居住棟側に47次隊、左側の海側に48次隊が並ぶ。
両隊長の挨拶の後、越冬隊員一人一人の名前が呼び上げられる。
看板の前で47次隊と48次隊の越冬隊全員が、入れ替わるように進みながら全員と握手をし居場所を交代する。

#48次の前には47次が誇らしげに立っている

#私まで一緒に涙が出てしまう


越冬交代。

樽酒で乾杯の後、50年間に渡る南極観測隊の各隊隊員名を記した銘板の除幕式を行う。
47次隊の銘板もあり自分の名前も彫りこまれている。

#南極観測50年の歴史が刻まれている。
担ってきた一人一人の名前が誇らしい


交代式の後は私物を積んだトラックの荷台に乗りAヘリに向かう。
隊長や艦長は48次隊で持ち込んだコンテナ運搬用のトラックの荷台に、しつらえた紅白幕がかけられたソファーに乗って移動する。
途中の予備食冷凍庫には先日食堂に掲げられた寄せ書き。

帰途のしらせ行きは2便ある。
名簿順なので1便目に搭乗する。
離陸。
しらせの方が窓側を譲ってくれる。
48次隊隊員が見送りボードを掲げ手を振ってくれる姿が次第に小さくなっていく。
東オングル島上空をゆっくりと2周。


#あの場所の主は48次隊になった。
もう、47次はいない。


しらせ甲板では艦長以下1列で出迎えてくれる。
一人一人と握手。

今日一日、
自然と何度も何度もこみ上げて来る涙を止めることはできなかった。


-----2月1日本日の作業など-----
・食堂、洗面所清掃
・越冬交代式
・記念銘板除幕式
・私物の船室への搬入
 4ハッチから観測甲板へ人力で上げ分配する。
・免税品の船室への搬入

<日の出日の入>
日の出   02:40
日の入    22:26
<気象情報>
平均気温-1.0℃
最高気温0.0℃(1634) 最低気温-3.4℃(2400)
平均風速7.2m/s
最大平均風速11.0m/s風向NE(1550) 最大瞬間風速14.7m/s風向NE(1119)
日照時間 0.0時間

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明日の行事を控えて、今日は21時頃まで仕事をしていました。
家に帰って、届いていた南極だよりと写真で、越冬交代の様子を知りました。
「越冬交代式」は報道の記事で読みましたが、私が知りたかったのは「越冬交代」のことだったのです。

送られてきた写真には、今まで使ってきた食堂、荷物を運び込む48次隊、越冬交代式での隊員さんたちの表情、そして小さくなっていく昭和基地などがありました。
ひとつひとつをゆっくり見て、南極だよりを読むのに、小一時間かかってしまいました。
食堂ではみんなでごはんを食べたり、卓球をしていたこともあったなぁ、ミーティングもここでやるって言ってたなぁ。
そんなことを考えたら、急に越冬の一年を振り返りたくなって「南極だより」を読み返しました。
遡って読んでいくうちに、47次隊のことを、南極という地を、分かりたくて分かりたくて夢中で調べたり考えたり、思い描いたりした日々が一気に思い浮かんできました。
ドラム缶掘りに何度も何度もS17に通い、最後のひとつを掘り起こしたときのこと、
ブリザードに飛ばされて簡単に死ねてしまう!と思ったこと、
ブリザードは海氷をもガッポリと持っていってしまったこと、
手作りビールやもやしを食べたこと、
サンプリングのラインに亀裂を発見したこと、
ミッドウィンターではじけたこと、
旗竿の最後の1本を手がけたこともあったっけ。
はじめて雪上車を運転したときのことも、
春になってペンギンが戻ってきたり、アザラシのあかちゃんに出会ったこと、
誕生日にレーウィンゾンデを揚げたことも・・
ひとつひとつがとても懐かしく、あったかい気持ちになっていました。

私が出会うことができた365日分の南極だよりは、47次越冬隊のほんの一部分でしかありません。
みんなで試行錯誤してやり遂げた喜びを抱き合って喜んだり、よりいいものにしようと激論を交わしたり、ときにはけんかをしたこともあったかもしれません。
お互いの仕事を助けあって心強かったことも、アクシデントがあって夜中に作業をしたことも、隊員さんのブログを見ればたくさん書いてあります。

2月1日に46次から昭和基地を引き継いでから、1年後の2月1日に48次に引き継ぐまでの間、47次隊の皆さんが、南極という厳しい自然のある中で、いのちと、仕事と、仲間と、真剣に向き合ってきたことは、たくさん伝わってきました。
47次隊が基地を守り、観測を続けることは、50年間の南極観測のたった1年かもしれないけれど、その1年がどれほど大変で、どれほどすばらしい日々だったのか、たくさん伝わってきました。
それは私にとっても、とても愛おしい日々になっていました。

ブログを遡って、最後に読んだのが、「越冬交代(46→47)」でした。
渡井さんの書いた中に、こんな文章がありました。

これから47次で一年なにが起ころうともやって行くということ、
来年は間違いなく向こう側の立場に立っているということ、
そしてこの一年はおそらくあっという間であるだろうことを思う。

越冬交代式で、48次隊を目の前にして立っている47次隊。
真っ黒になった服を着て、日焼けした顔で、目を潤ませながら笑っている47次隊がかっこよくて、誇らしくて、私も47次隊と一緒に越冬させてもらったことが嬉しくて、ただただ涙があふれていました。

ヘリからの昭和基地の写真を見ながら、もうここには47次隊がいないのだと、次の越冬の準備を始めているのは48次隊なのだとあらためて突きつけられる思いがしました。。
基地に戻って残りの仕事をする隊員さんもいるけれど、この日で47次隊の仲間36人での昭和基地で創る日々は終わりなのです。
47次隊にとっての大切な大切なこの日を、私はずっと心に留めておきたいと思いました。

第47次日本南極地域観測隊、越冬隊の皆さん、越冬お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。

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2 コメント

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Unknown (ウサギ)
2007-02-03 22:55:47
はじめまして。こんばんわ。
はじめてコメントさせていただきます。コメントははじめてですが、実は1年以上前からみ・くりさんのブログを読ませていただいてました。お二人のお人柄がすごくいいんだろうなと思わせるブログで楽しませていただいています。

私も知人が47次隊にいて、この1年渡井さんからの情報とみ・くりさんからの情報でどんなことをやってるのかを知ることができました。ありがとうございます。なんか越冬最後にお礼が言いたくなりコメントしました。
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ウサギさま (み・くり)
2007-02-03 23:49:34
ウサギさん、初めまして。
1年以上も前から読んでくださっていたのですね!
ありがとうございます。
なかなかどのような方が読んでくださっているか知る機会がないので、とても嬉しいです。
そして、お役に立てたのであれば、もっと嬉しいです。
ウサギさんにも、ウサギさんの知人の隊員さんにも、こちらこそ、お礼を言いたいです。
ありがとうございました。
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