●母の腰の状態が確実に悪くなっている。
今週に入ってから、毎日、病院へリハビリに行くようになった。
今までは、火・木・土の三回であった。
今日、改めて、状況を聞いてみると、痛みが増してきてつらい、ということである。
明日、整形外科にかかり、主治医に相談してみるから、付き添って欲しい、ということになった。
状況によっては、手術、ということが濃厚になってきた。
必ず治るわけではないようで、一か八かのかけである。
年がいけばいくほど、体力が衰え、最悪は手術不可の可能性も否定できない。
と考えると、今回の機会に手術をした方が良さそうだ、と考えている。
一難去って、またまた一難。
… ある程度、想定はしていたが … ちと早い …
●妻宛に県立病院へ手紙が届いている、と連絡を受けて、2週間弱。
やっと、久しぶり?に、県立病院の緩和ケア病棟へ行った。
18時、呼び出し鈴を押すと、しばらくして石川看護士が対応に出てきた。(おっと…、無用な詮索はしないで頂きたい!)
懐かしかった。
入院病棟にいた頃から、ちょくちょくお世話になっていた看護士だった。 わりと、あっさりした人である。
とりあえずの言葉に詰まった。
懐かしさと、ちょっとした無念さと…、その他、いろいろ…
涙を見せている場合じゃない。(俺は涙を見せない!…)
「大変お世話になり、ありがとうございました…」
「急で、大変だったでしょう。 少しは落ち着きました?」
ちょいと笑顔で、「まあ、こんな調子で…」
「ああ、よかった。」
「タイツ、探しているのですが、ちょっと、まだ見つかりません。もっと、よく探して、きっとお返しします。 手紙が届いているというので受取りに来ました。」
「あ、誰か、連絡したんですか?」
「はぁ、連絡がありまして…」
「あ、手紙はこれです。 タイツは急いでいないと思いますので、見つかってからで良いですよ。」
「はい…」
「気を落とされずに、がんばってくださいね。」
「あぁ、ありがとうございます。」
「きっと、探して、お返ししますので…」
「はい、気をつけて…」
おおむね、こんな会話だったような…
妻が亡くなった部屋をもう一度見たいような気がしたが、… 飲込んだ。 見たって、どうしようもない。
「では、失礼します。 ありがとうございました。 皆さんによろしくお伝えください。 それと、病棟時代にお世話になった、伊藤看護士にも…」
「もう、退職されましたよ。」
「もし、お会いする時があれば、よろしくお伝えください。 緩和ケア病棟に移って後も、ちょくちょくと来ていただいたようです。とても、励みになった、と言っていました。」
「はい、分かりました…」
という事で、緩和ケア病棟を後にした。
…
さて、手紙。
手紙の主は… 中島さん(おっと…)
妻が今の局に変わる前の局でお世話になった人…。 同じ地域の人。
お通夜で、はじめて会った。 気さくな人柄…
開こうとしたが、手が進まない。
妻に宛てた手紙…。 俺は読む資格が無い。
返すべきか?
……
……
妻の書類作成、証明書の請求で、頭の中をぐるぐる回っている。
49日法要の手配も、かけめぐっている。
うーーん。 何だか、整理がつかない。
今日、やっと、市役所で死亡証明書、除籍謄本を入手した。
明日は、郵便局へ行って手続きの書類を提出の予定。
その他、遺族年金の手配…… などなど。
何だか、せわしない。
意思決定が状況についていっていない。
土地問題も…
「真」に相談できる人がいない…
… 妻 だった …
今日一日、なーーにもしたくなく、ただゴロゴロしてしまった。
うーーむ。 脱力感、100%。 ちなみに、外は雨…
49日法要の手配をすべきだが、やる気なし。
一応、6月20日10時からお経を頂く。 というところまでは決めたが…
昼食の手配が、どうにもやる気が起きない…
なんてだろ…
…
今日までに、見舞や御参りの人が何人か訪れた。
ありがたかった。
が、いろいろ話をしたあと、良い知れぬ寂しさと不安感がのしかかってくる。
なんとも説明のしようが無いが…
一応、妻が亡くなった後の心理状態を想定はしていたものの、想定外の部分がある。
説明のしようが無い部分もある。
…
とにかく、やる気が起きない…
とりあえず、明日はお仕事…
今までの財布は小銭入れが破れてしまっていた。
が、妻の持っていた財布だった。
小銭くらいと思っていたが、きちんと入れておこうと思うと、結構つらいものがある。
実は、今まで持っていた腕時計が故障したので、先週 修理に出した。
1500円くらいで直るという。
その程度の金額なら直そう、という気になった。
この腕時計は、父が使っていた物だった。
結果、父の遺品?は残ったが、妻の遺品?は無くなる。
何だかなあ…
●今日は差義長。
子供の次男が厄年である。
昨日、奉納物を準備して、さて奉納しようか、というところへ本人が帰ってきた。
2人で、餅2臼・蜜柑1箱・日本酒2升を氷川神社へ奉納した。
さて、今日は6時に起きて、雑煮を食べて、子供と町内の広場へ行った。
お神酒をいただき、ぜんざいを食べ、コーヒーを飲んで、お神酒をもう一杯…
良い気持ちになってしまった。
火が入れられ、餅撒き開始。
子供は、当然高台で撒いている。
ま、ぼちぼちと落ちてくる餅を拾っているうちに買い物袋に1/3位になったところで終了。
妻から、振舞われた物が欲しい、ということなので、ぜんざいとイカ、拾った餅を持って病院へ行った。
もちろん、子供の運転で… 私が運転したら飲酒運転になってしまう…
「ああ、今年はぜんざいだけだったの…。うーーん。うまい!」
この一言で一安心。 私は眠くなったので、後は子供に任せて、近くのソファーで眠ってしまった。
さて、9時半頃、町内へ戻って、堂の講へ行った。 今年は宝閣さん宅である。
行ったら、年寄り(私よりも年行った人)が、今から奉納された酒を取りに行く、ということなので、一緒に取りに行った。
と、そんなこんなで、今日は一日酒の飲み放題。
今は、飲みすぎて、ちと、頭が痛い。
ので、もう寝る。
ま、今日の妻の状態は、まあまあの状態だと見えた。 ので安心できた。
●謹賀新年。
ずいぶん長いこと更新しなかった。
身の回りの状況は、私自身は変わらないように思っているが、客観的に見るとずいぶん変わっているのだろうと思う。
●妻は、ここのところ、比較的安定しているように見える。
免疫療法が効いている、と思っているが実際にはどうなのだろうか?
今、受けている免疫療法の担当医師からは、癌を制圧するまでの力は無い。
今の状態を維持するだけである。 と説明を受けた。
確かに、マーカー値は横ばいである。
つまり、癌が大きくなりもせず、小さくもならない。
妻が受けている免疫療法は、大阪大学大学院医学系研究科 機能診断科学講座 が「WT1ペプチドを用いたガンの免疫療法」というもので、民間療法(民間の病院が行っている免疫療法)とは全く違っている。
等など、書きたいことはたくさんあるが、時間と気力が無いので書ききれない。
本もいろいろ読んだが、今の療法が最適であると確信している。
で、問題は妻の食事と気力の持ちようである。
主治医と阪大の先生と、食事の対応が違う。
主治医は絶食の方向、阪大は何でも食べて、と方向が違っている。
妻の意向は何とか食べて対処したいと考えている。 ので、絶食を無視して少しでも食べるようにしている。
1月から?、妻の独断で食事をもらうようになった。 といってもおかゆ程度であるが…
それでも、食事の時間が分かり、食べよう!という気にもなる… というのだ。
しかし、今、FMシアターで放送しているが、私もどうして良いか分からない。
誰も相談する人もいない。
全く孤独である。
と言って、ほっておく事もできない。
だまって見ている事しかできない。
これがまた、自分に苛立ちがつのってしまう事がある。
………
●母のこと。
たくさんありすぎて、オーバーフロー!
酒の飲みすぎ。
寝る。
炊事、洗濯の作業からは開放されたが、今度は、母のちょいボケに付合わなければならなくなった。
今日で2日目だが、話をしていると時々こちらがおかしくなってくる。
確か、さっき炊飯のセットをしたはずだが、まだだ、と言われると自信がなくなる。
という感じで、時々たまらなくなる。
●妻は、阪大病院へ行くたびに体力が無くなっていくのが分かる。
水曜日(11/19)に病院へ行ったが、病院内は歩いて行けない。
車椅子を準備して、それに座っての移動になっている。
絶食の状態は、今も続いている。
食べたり飲んだりすれば、たいていは吐いている。
ので、体力がつくはずも無い。
今日、様子を見に行ったら、レントゲンでは 腸は通っている、ということになったらしい。
しかし、食べたら吐く、という状態は変わらないようだ。
妻が言うには、痛み止めを常時入れるようになってからは吐き気が強くなっている、ということだ。
鎮痛剤のせいだ、と言っているが…
生の演奏を耳にしたのは、何年ぶりだろうか?
本物の音は良い!
音響設備からの音よりも、生のほうが、音の大小が大きい。
各楽器の音色が、全く違う。 スピーカーでは再現不可能。
本当の音を再認識した。 といっても、イベントでは活用のしようが無いけど…
で、演奏の方は…
一部 ブルーインパルス この曲、初めて聴いた。いまいちメロディラインが浮かんでこなかったので、いまでもどんな曲か分からない…
2曲目 スペイン奇想曲 朝の歌 のテーマ。聴いた事がある。クラリネットのソロが見事だった。すごい!!よく吹くなぁ、と感心してしまった。残念なのは細かい音が滑って聴こえてしまった事だった。
3曲目 ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲 さっぱり分からん。大曲で、皆さんものすごく練習したのだろうけど、私には猫に小判でした。寝てしまった… 聞きながら寝れたので、良かったのでは…?
さて、2部 メイン・ストリート・エレクトリカル・パレード ディズニーランドの夜のパレードで流れる曲。演奏したことがある。初見だった。どうにかこうにか、最後まで演奏した覚えがある。私が所属していたバンドでは却下になってしまった。確か…トランペットが根を上げたような気がする。 まあまあの出来だった。音がよく整理されて、メロディが浮かんでいた。
2曲目 崖の上のポニョ 全体にうるさかった。もっと音を整理したほうが良いのでは…。でも、結構お気に入りの曲だったので、満足!
3曲目 ルロイ・アンダーソンの肖像 「セレナータ」、「シンコペイティッド・クロック」、「ブルー・タンゴ」と「ラッパ吹きの休日」のメドレー。いずれも懐かしい。気がついたら、指が勝手に動いていた。こういう古い曲は、おじさんが得意とするとこなのです。ブルー・タンゴでは、ユーフォがもっと出ていても良いのでは…。ちと、もったいなかった。 ラッパ吹きの休日では、もっとトランペットの音が欲しかった。バックに負けていた。何だか、喉元で息を出しているような気がしてしまった。(いろいろ、事情があったのだろうけど…)もっと、スパーンといった音が欲しかった。
4曲目 追憶のテーマ これも懐かしい。またしても指が動いていた。ユーフォのボリウムが小さい。サックスの音がなぜか痩せて聴こえてしまった。(プロの演奏者だったので、そんなことは無いはず。私の勘違いかも。昔、演奏した時のサックスはもっともっとふくよかな音だった。これには演奏しながら聞きほれていた。)ま、散々吹いた後なので疲れたのかも…
以上、感想。
気がついたら、かなり辛口になってしまった。 私だったらこんな風に演奏するのに… などと思っているからかもしれない。
ま、吹奏楽での表現は、弦のオーケストラに比べるとかなりしょぼいので、あまり欲張ってもしょうがないのかもしれない。 と思っているのは私だけかも…
来週にでも、昔の楽団へ行ってこようかな…
無性に、楽器(ユーフォニアム)を吹きたくなってしまった。 どうしよう…
●今年は大変な年になってしまった。
もう最後にして欲しいくらいだ。
普段から親しくしていた従兄弟の Y君が 亡くなった。
自分から…
7日(金)16時頃だったらしい。
土曜日にお通夜、日曜日に葬式をした。
奥さんも、子供たちも… まともに見ていられなかった。
事前に察知して、何もできなかった自分が情けなかった…
暗い話ばっかり。
●今日は若い娘さんに、とても明るくしてもらった。
今度の日曜日に、吹奏楽団の定期演奏会がある、というので、前売券を分けてもらった。
たいへん バイタリティのある子だ。 それと、大変素直な子だ。
欲を言うと、もう少し考えて行動すると、倍の効果があるに…、と思ってしまう。 とにかく、よく行動する。
話を聞いていると、思わず、自分の昔のことを思い出してしまう。
その当時、所属していた福井市吹奏楽団には、音楽大学を卒業したてのプレーヤーが何人かいた。 クラリネットの尾島君、トランペットの武曽君、フルートの漆原さん、助っ人では、プロのアルトサックス 宗貞氏、クラリネットの板倉氏…
そんな人たちと一緒に演奏していると、たいへんに心地よい。
なにしろ、音程がどうの、リズムがどうの、等という心配が全く無い。
まさに自由に表現できる場があった。
おもしろかった。 一番輝いていた頃かもしれない…
今、休団中ということで在籍している(忘れられているかもしれないが…)吹奏楽団は、そういう意味ではいまいちであるが、その当時一緒にやっていた仲間たちがいる。
今度、演奏会を聴きにいくと、一緒に演奏したくなってしまうんじゃないかと、心配だ。
でも、すごく楽しみである。