●母屋のおじいちゃんが亡くなって一年。
一周忌である。
次に私の番である。
いろいろあった。
自宅で、お勤めをし、お客さんを呼び、接待するものであった。
主観は、90% 体裁を繕ったもので、おじいちゃんの「かけら」を感じることがなかった。
これが、村の一周忌である。
もう、とっくに日本的考えは無い!!
体裁さえ整えばそれで良し。
田舎の変な約束事に束縛されすぎ、それを実施するのに集中しすぎている。
一時期、「冠婚葬祭の簡素化」 とかで、さまざまな約束事を設定した。 たぶん、他の村も実施したと思われる。
この時点で、90% 以上が、村の特色が無くなった、と思う。 同時に、故人の事は二の次になっていった、と感じている。
決まったときに、どう説明して良いか分からず、反対できなかった。
実施したのは、いわゆる戦後のベビーブームの人たち。 私から言わせると、烏合の大衆。
ろくなことを決めたものである。
意味を考えず、ただ「厄介」で「邪魔くさい」、という理由だけで決めたように感ずる。
田舎の村でさえこんな感じである。
都会では、日本的考えは全く無い、といって良いだろう。もっと淡々としたものだろうと想像する。
私は、私の父について、少しでも思いをめぐらる工夫をするところだが…
今回は、日本人。 もう いない。 と、改めて強く思った。
都会の人が定年退職で田舎で過ごしたい、と考えている人がいるようだが、実行すると、本人も村人も お互いに迷惑する。
断定できる。 自分で作ったねぐらで終わった方が、お互いに幸せかも……
●母が手首の骨を折り、入院してから、生活が激変した。
男尊女卑と非難されると思うが、現実は、女性が炊事洗濯、男は働きに出る。
これが基調の生活が、根底からくずれた瞬間だった。
実は、今まで、衣服の洗濯をしたことがなかった。
食事を自力で考えることもなかった。 ましてや、作ったこともない。
作ったことがあるのは、インスタントラーメンと玉子焼きだけ。
料理の初歩を暗中模索中。
ただし、時間を掛ければ誰にでもできそうだが、私には時間が無い。
いつも、寝床に着くのは12時以降…
1ヶ月半くらいはかかる、ということである。
昨日、夕方、体中が痒い…、という事で、近くの福山医院へ行こうとしていた。
私は、妻の病院へ行った帰り道であった。
病院へ行きたい…、と連絡があり、そのまま待つように返事をした。
家へ着いてみると、母がいない。
家の中を探し回ってもいない。
ひょっこり、外から入ってきた。
「転んで、腕が痛い」と騒いでいた。
「あれ! 腕の向きがおかしい!」とも言っていた。
とにかく、病院へ行って、見てもらった。
体中が痒いのは軽いジンマシンだろう、ということだった。
食べ物が悪かったりすると出やすいそうだ。
ところが、何を食べたら出たのか、分からない。
が、痒み止めの注射を打ってもらって、一段落した。
腕については、?線写真を撮ってみないとなんとも言えないが、骨にひびが入っているか、最悪は折れているだろう、ということだった。
とりあえず、湿布を張ってもらった。
家で、ダンボールで簡単なギブスを作って、腕を固定したほうがいいだろう、ということだったので、さっそく処置した。
ちょっとでも動かすと痛いらしく、いつもならけたたましい母が、このときばかりはおとなしかった。
今日、厚生病院で診てもらうよう、送っていった。
私は、会社へ行った。
9時頃、母から電話がかかり、すぐに来るよう言われた。
病院へ駆けつけ、主治医の話を聞くと、左腕が手首のすぐ上で、2本とも折れているので、手術が必要だ、ということだった。
腕と手のひらを金具で固定して、骨がつながるのを待つ。
つながったら、金具をはずす、という進めかただそうだ。
完治するのに1ヵ月半はかかるだろう、その間、金具をつけた部分を消毒する必要があり、綿密に管理する必要があるので、入院が必要だ。 と言われた。
その間、腰のリハリビもしっかりやりたい、ということであった。
さて、私は、一種のライフラインが失われた状態となってしまった。
食事を作ったことが無いので、毎日の食事をどうするか…
洗濯はどうするか。 これもしたことが無い。
とはいっても、遅かれ早かれ、こういう状況になる。
ちょっと早いだけである。
いまなら、妻や母にどうやってするのか、聞くことができる。
ということで、私のマイタイムは皆無に近くなってきてしまった…
熊さんに言わすと、このような状態は、危機管理が全くなされていない状態だ、と言われたことがある。
といって、自分で食事の用意をする機会は全く無かった。
と、ちょっと言い訳であるが…
この際、少しの危機管理ができることになる…、ので、いい機会と捕らえて、やってみる……
●9/20音響機器の購入を依頼したお金を渡す。
音響の機器を本格的に揃えることにした。
理由は、もっと自由に音を出したいから…
どうしても、借りている機器だと、遠慮しがちになってしまう。
音を入れすぎてスピーカーを飛ばしたらどうしよう…、という不安から、どうしても遠慮しがちになってしまう。
また、機器がやるたびに変わるため、操作がどことなく安定しない。
という事で、そろえることにした。
が、単に音が出ればいい、ということでなく、プロ仕様のしっかりしたものを手に入れなければならない。
結構、これがわかりにくい。
といって、実際に聞いてみてもはっきりとは分かりにくい。
が、使っていると徐々に分かってくる、という厄介な問題だ。
という事で、いつも機器を借りている水野氏に機器の選定から納入までをお願いしたところ、協力的な返事を頂いた。
それどころか、彼が使っていた機器の一部を安く譲っても頂いた。
できれば、町内の祭りに使いたい旨を伝えたところ、これも間に合うようである。
ちょっと気が早いようにも思うが、老後の遊びとしても考えている。
イベントの音響をやっていると、いろいろな人ととことん話し合え、考えをやり取りできる。
ボケに良いかな…
と、ちょっとした贅沢な遊びに手を染め始めたところである。
近くでイベントがあるなら、できるだけ協力したいと考えている。
と…
ちょっと、見通しの明るい話題のつもり…
●ここしばらく、いろいろあった。
9/14 次男が来てくれた。
妻が、しっかり勘違い。
10月15日の予定を9月に勘違いして、次男を呼び寄せてしまった。
いい迷惑だったろう、と思うが、なんにも言わずに来てくれた。
後で聞いたら、何で呼ばれたか分からないが、とりあえず来たヨ、ということだった。
ちょうど、新車を買ったこともあって、ちょいとドライブ、なんて気分で来た… と勝手に解釈した。
でも、妻は大いに喜んでいた。
この時は、妻は入院中だったが、まだ、元気いっぱいだった。
会社帰りに寄っても、見送ってくれた。
9/15、16 まだ、元気。
このままでいて欲しい…
9/17 うーーむ。
あまり、いい状態ではない。
体がだるいそうだ。
何が起きているか? 分からない。
が、だるくて、ベッドの上で寝返っている。
主治医は出張?で、誰も様子を見に来ない。
大丈夫かな…
心配してもどうしようもないが、やはり心配だ。
阪大病院もパスした。
何だか、最悪の状態が頭をよぎる。
こんなことを書きたかったわけではない。
そうそう、 9/14 は、実家の稲刈り。
まあ、それなりに役割は果たせたか…
次男と一緒に、稲刈りの後に草刈をした。 仮払機で…
ま、ちょっとした、子供とのコミュニケーション。
この後、妻のところへ2人で行った。
妻の状態を見ていて、こちらもうれしかった。
さて、今日は、一変して、つらそうだった。
妻の体内で何が起きているのだろう…
状況がよくない方向に変わって行きつつあることは分かるが、どうしていいか分からない。
黙って、見ているだけだった。
高知大学の放射線療法…
真剣に考えざるをえないか…
… やっぱり、暗い話ばっかり…
何だか、毎日がイベントの日?のようなこの頃である。
次男が妻の見舞に行ってくれた。
大阪なので、おいそれと簡単にはいけない。
それだけに、ありがたかった…
状況は後で知らせてくれるだろうが、何とか安定しているような感じだ。
ひとまず、安心か…
それとは別に、職業訓練の仲間たちの同窓会?があった。
みんなどうしてるんだろう? 行ったら、熊さんが一人、何だか不安そう?(に見えた)していた。
10分前だったが、誰も来ていなかった。
私は、熊さんの状況はブログを通じてある程度分かっていた。 少し聞きたいこともあったので、いろいろと話していたところへ、「てつこ」がやってきた。
この人も、日記を通じて少しだが、状況は分かっているつもりだ。
いきなり、2人から「奥さん、どうなの」と聞かれてしまった。
最近、このブログ書いてないな~、と反省してしまった。
「もりタン」がやってきた。「相変わらず、えらが張ってるな~」と思ってみていた。
自分で請負仕事をしているようだ。 いや、何だか商品を開発して販売しているようなことも言っている。
すごいな!
私は、サラリーマンしかしたことが無い。 夢のまた夢のような話である。
いろいろ話していると、みんなすごい。
普通以上の人である。 私だけ、普通以下?
ちょっと考えさせられてしまった。
自分で何かやってみたいが…
結局、4人だけの同窓会になった。
いろいろ、忙しいのでしょう。
この次は、きっとみんなに合える、と期待して分かれた。
●レコードを聴いている。
何年ぶりだろう。
アンプの調子が悪く、かすかにぶーーんとハムが入る。
そういえば、このアンプになってからじっくりとレコードを聴いたことがない。
このアンプとは、Sunsui の AU-D707。
このアンプの InputSelector の接触が悪く、時々右チャンネルが聞こえなくなったり、左チャンネルが聞こえなくなったり…
もっとも、弟から譲り受けたものなので文句は言えない。
さて、じっくり聞きはじめると、妙にハムが気になる。 60Hz のぶーーん。
もうひとつの MM に配線しなおしてみると、半分以下になるようだ。
気を取り直して、続けて聞く。
ドボルザーク の イギリス。 交響曲第8番。
ジョージ・セル(もう亡くなってしまった)指揮のクリーブランド管弦楽団の演奏。
この音色が好きだ。
レコードでは、演奏そのものの音は絶対に出ない。
でも、イミテーションらしい上品な音が好きだ。
ほかのものは、いかにも弦楽器の音です、という顔をしてしゃしゃり出てくる。
しかし、プレーヤーも変わってしまったせいか、いまいち、何かが変。
それとも、昔の良いイメージだけが残っているのか。
FOA さん。斎藤君ちで聞いた、あの淡々とした音が恋しいよーー。
半年くらい前から、少しずつ気になり始めた。
父の夕食を、1度でいいものを2度入れることがある。
今日もそうだ。
父の介護を任せられなくなってきている。
何をするか分からない。
妻は養生で実家にいる。
仮に、こちらへ戻ったとしたら、寿命を縮めかねない。
ということは、八方ふさがりの状態だ。
後は、全て私がやる方法しか残っていない。
家庭が崩壊していく……
●癌性腹膜炎、手術後化学療法第5クール(トータル第9クール) 140日目。
調子は良くない。
お腹が痛い、ということだ。
ここ1週間前から寒くなったせいだろうか。
●11月19日12:43、父のお兄さんが亡くなった。
仕事中に電話があり、19日19:00に親戚一同が集まるから、来てくれ、ということだった。
意外だった。
いつも近所を歩いており、元気だったのに…
仕事が終わってから、食材を買って急いで帰ったが、18:30になってしまった。
風呂に入って、出たのが19:05。 遅れた。 夕食をとらずに、母屋へ出かけた。
お通夜は、20日18:00から、ということだ。
従兄弟として、何を出すか、誰がどんな役をするか、などを決め、気がつくと00:30。
ひとまず、家に戻った。
腹が減った。 ごはんを食べる気にならなかったので、カップラーメンを食べた。
後は、明日の心だぁーー。
まいった!!
カラオケ・演芸の担当だが、毎年、有志を募って演芸をしている。
今回もやろう、ということで有志を募ったが、いつものメンバーが役があったりで都合がつかない。
何とか3人に頼んだが、いい返事がもらえない。
企画内容は、「わらべ」の「メダカの兄妹」と「きゅーてぃーはにー」の踊りまねである。
この企画は、いつも考えている人に、忙しい中で考えてもらった。
衣装も問題だ。
しかし、とにかく時間がない。 祭りまであと8日しかない。
さらに、私自身も時間がない。
おまけに、気持ちの余裕が全くない。 連絡して、お願いすれば済むのだが、それがなかなか…
いつも、気がつくと21時を回って、電話をする時刻ではなくなっている。
今年は、出し物をやめてしまおうか…
●今回の土日は悲惨だった。
土曜日は、午後から仕事。
「鳴鹿大堰」のイベントのため、国土交通省の特赦車両展示で、車両の運搬と若干のお手伝いである。
展示した車両は、対策本部車、表示車とパトロール車の3台である。
後は、表示車でビデオの再生をした。
今日は、まず母親が体調不良を訴えたので病院へ連れて行って、午前中が潰れた。
幸い、「疲れ」で、大病ではなかった。
ここ一週間の暑さにへこたれたようだ。
故障しているクーラーを修理し、暑さ対策をした。
次に、電話機が故障してしまったので、親子電話の線を使って、代わりのもらい物の電話をつけた。
ここで、昼食。
次は、妻の対応。
実家へ行き、妻と面談?。 実は、私は、疲れて、実家へ着くやいなや、眠ってしまった。
15時頃に起こしてもらって、帰宅。
父の夕食分の腸ロウをセットして、母親と食材の買い物。
という具合で、この土日は何だったんだろう?
クーラーの修理内容について書きたかったが、眠いので、又の機会に……