●東北関東大震災で災害派遣が会社から指示された。
3/12(土)
7:35 会社から、地震の災害対策に行ってくれるか、と電話。
・今日は、明日の本番の最終練習がある。
が、そんな事は言ってられない…
・会社で説明を受ける。
災害対策車を現場に設置、メインテナンスをする。
車種は、災害対策本部車、衛星通信車、照明車の3台。
7名で約1週間。
・出かける準備で帰宅。
・もう一度会社へ行くと、支店長から現金20万円を受け取る。
これで、全員の食事の準備をせよ、と。
・慌てまくって買出しに行く。
水、レトルトのご飯、レトルトのカレー・丼などを購入。
水って一日どれくらい使うの?
一人1日3ℓ、との事。現場代理人が教えてくれた。
しかし、ご飯が足らない。
しようが無く、カップ麺を多めに購入。
ほとんど買占めに近い状態。
ゲンキーに事情を話して、協力してもらう。
12:35-15:00 福井IC → 尼御前SA
・弟に災害派遣の連絡をしたら、行くな!、との返事。
原発が危ない!、との事。
国交省の職員も一緒なので、大きな問題はないと思うが…
16:19-21:33 米山IC 休憩、給油
・弟より、もし原発がメルトダウンしたら風上に逃げるようにと。
常にラジオを聞け、と言われる。
・国交省の職員によると、原発の情報によってはひき帰す事もある、と言われる。
・私が吹奏楽に復帰するきっかけを作ってくれた、アカデミーのトランペッターの女の子は、残念がっていた。
彼女と初めてのアンサンブルが出来るはずだった…
・国交省の職員から、目的地が郡山市から変更になった。
会津磐梯山SAから約200km北の位置だそうだ。
22:40-
3/13(日)
- 3:55 磐梯山SA 車中泊、給油
8:48- 9:27 安達太良SA 休憩、給油
9:55-11:27 菅生SA 休憩、給油
・国交省の職員から、目的地が岩手県一関市になったととの事。
11:45-12:47 長者原SA 休憩、給油
13:52-14:40 一関IC
-14:55 あいぽーと・北上川学習交流会館
・信号が全部 消えていた。
携帯は電波が弱く、かつ、トラフィック量も少なくなっているようだ。
電話がかかりにくい。
メールも送信しにくい。
・18:30頃には、町は真っ暗…
まるで、ゴーストタウンのようだ…
星がやたらと眩しく感じる。
・19:00頃、携帯の電波は強くなっていた。
が、相変わらず、電話がかかりにくい。メールも…
・余震が多数発生している。
車に乗っていると、留っているのに揺れている。
・明日、どこへ派遣されるのか…。
不安だ…
3/14(月)
一日 待機
・燃料が確保されていないので、夜は暖機運転を節約。
寒い。
・相馬市への派遣依頼。
皆で抗議。
身の安全は確保する、ということで。
国交省の職員は、検討する、との事。
・手持ちの現金が10万円ほどしかなく、燃料補給に支障が出る。
しかし、どうやって会社から現金を得るか… 皆、途方にくれる。
ゆうちょ銀行に入金してもらって、こちらで引き出す方法を提案。
運良く、ゆうちょ銀行のカートを持っている社員がいた。
会社に連絡し、入金を確認後、郵便局へ行ってみる。
が、端末が動いていないので対応できない、との事。
端末が動いている郵便局を紹介してもらう。
・会社へ、近くのお風呂屋さんを検索してもらう。
・日中は天気が良く、暖かかった。
・18:15頃。町の灯りが昨日より少し多い。
灯りが見えると安心感がある。
相変わらず、余震で車が揺れる。
・今晩から施設の中で寝ることにする。
・1:00頃、「原発が爆発、100km圏外に逃げよ!」、と案内あり。
施設内の全員、総立ち。
東京の長男に、逃げたら、と連絡してみる。
・1:30頃。
「爆発はしていない。退去せよとは指示していない。」
「デマである。皆さんの名誉のためにもここに留まるように!」
一時は館内が騒然としたが、この一言で全員安心し、寝た。
東京の長男からは、200km離れているから何とかなりそう…
2号炉の燃料棒がむき出しのようで、国やマスコミは何か隠しているかも知れず、信用していない…
お父さんの方が原発に近いので、注意して…、と。
これは意外だった。
ちなみに、長男は原子力が卒業研究のテーマだった…
・施設の中で、暖房もついているが寒い。
寒さで何回か目が覚めた。
余震もあるが…
それでも、手足を伸ばして寝ることが出来るので、車中よりましだ。
3/15(火)
7:00 2班出発 ①災害対策本部車…大船渡市へ
②衛星通信車 …宮古市へ
③照明車 …待機(私)。
・21:00頃。
自宅にたっぷりのご飯があるのを思い出し、隣の谷口君に連絡。
・22:30頃、大き目の地震。
長男に、連絡すると、震度3との事。
3/16(水)
一日待機
・外は一面銀世界。
また冬に逆戻り。
・10:00頃、近くのマーケットへ行った。
30人程度の行列
待っている間、近くのおばさんと話してみる。
電気と水道は回復したとの事。
しばらく停電だったので助かった…、と。
いきなりテレビの映像を見たら、気がおかしくなってしまっていたかも知れない…
今は、とっても音楽を聴けない…
そう。大きなショックの後は本当に音楽を聞けない…
私も体験している。
この人の気持ちが、痛いほど良く分かる…
悲しい……
後ろの30代?の男性にも話を聞いてみた。
家は立っているが、傾いている。
中は、食器棚などが倒れて、むちゃくちゃだ。
古いしょっきが無傷で、新しいものばかりが割れているので、腹が立つ…
こんな状態なのに、私は待機しっぱなし…
無性に……
入ってみると、50m位Uの字に商品が置いてある。
無い商品は店員に伝えて持ってきてもらう。
レトルトの雑穀米とカレーを購入。
3/17(木)
一日待機
・13:00頃、この日もマーケットへ行った。
やはり、30人程の行列。
17:00頃 帰福
・後ろ髪を引かれるようだ。
待機していただけで、被災者たちに何の貢献も出来なかった…
3/18(金)
7:00頃 福井到着
9:00頃 自宅到着。
・当然だが誰もいない…
無気力…
とりあえず風呂に入る。
この一週間、結局風呂に入らなかった…
3/19(土)
・なぜか肉が食べたくなり、すき焼きをすることにした。
すき焼きとビール。 一週間ぶりの酒。
うまいが…
叔母さんに写メールしてみた。
3/12(土)
7:35 会社から、地震の災害対策に行ってくれるか、と電話。
・今日は、明日の本番の最終練習がある。
が、そんな事は言ってられない…
・会社で説明を受ける。
災害対策車を現場に設置、メインテナンスをする。
車種は、災害対策本部車、衛星通信車、照明車の3台。
7名で約1週間。
・出かける準備で帰宅。
・もう一度会社へ行くと、支店長から現金20万円を受け取る。
これで、全員の食事の準備をせよ、と。
・慌てまくって買出しに行く。
水、レトルトのご飯、レトルトのカレー・丼などを購入。
水って一日どれくらい使うの?
一人1日3ℓ、との事。現場代理人が教えてくれた。
しかし、ご飯が足らない。
しようが無く、カップ麺を多めに購入。
ほとんど買占めに近い状態。
ゲンキーに事情を話して、協力してもらう。
12:35-15:00 福井IC → 尼御前SA
・弟に災害派遣の連絡をしたら、行くな!、との返事。
原発が危ない!、との事。
国交省の職員も一緒なので、大きな問題はないと思うが…
16:19-21:33 米山IC 休憩、給油
・弟より、もし原発がメルトダウンしたら風上に逃げるようにと。
常にラジオを聞け、と言われる。
・国交省の職員によると、原発の情報によってはひき帰す事もある、と言われる。
・私が吹奏楽に復帰するきっかけを作ってくれた、アカデミーのトランペッターの女の子は、残念がっていた。
彼女と初めてのアンサンブルが出来るはずだった…
・国交省の職員から、目的地が郡山市から変更になった。
会津磐梯山SAから約200km北の位置だそうだ。
22:40-
3/13(日)
- 3:55 磐梯山SA 車中泊、給油
8:48- 9:27 安達太良SA 休憩、給油
9:55-11:27 菅生SA 休憩、給油
・国交省の職員から、目的地が岩手県一関市になったととの事。
11:45-12:47 長者原SA 休憩、給油
13:52-14:40 一関IC
-14:55 あいぽーと・北上川学習交流会館
・信号が全部 消えていた。
携帯は電波が弱く、かつ、トラフィック量も少なくなっているようだ。
電話がかかりにくい。
メールも送信しにくい。
・18:30頃には、町は真っ暗…
まるで、ゴーストタウンのようだ…
星がやたらと眩しく感じる。
・19:00頃、携帯の電波は強くなっていた。
が、相変わらず、電話がかかりにくい。メールも…
・余震が多数発生している。
車に乗っていると、留っているのに揺れている。
・明日、どこへ派遣されるのか…。
不安だ…
3/14(月)
一日 待機
・燃料が確保されていないので、夜は暖機運転を節約。
寒い。
・相馬市への派遣依頼。
皆で抗議。
身の安全は確保する、ということで。
国交省の職員は、検討する、との事。
・手持ちの現金が10万円ほどしかなく、燃料補給に支障が出る。
しかし、どうやって会社から現金を得るか… 皆、途方にくれる。
ゆうちょ銀行に入金してもらって、こちらで引き出す方法を提案。
運良く、ゆうちょ銀行のカートを持っている社員がいた。
会社に連絡し、入金を確認後、郵便局へ行ってみる。
が、端末が動いていないので対応できない、との事。
端末が動いている郵便局を紹介してもらう。
・会社へ、近くのお風呂屋さんを検索してもらう。
・日中は天気が良く、暖かかった。
・18:15頃。町の灯りが昨日より少し多い。
灯りが見えると安心感がある。
相変わらず、余震で車が揺れる。
・今晩から施設の中で寝ることにする。
・1:00頃、「原発が爆発、100km圏外に逃げよ!」、と案内あり。
施設内の全員、総立ち。
東京の長男に、逃げたら、と連絡してみる。
・1:30頃。
「爆発はしていない。退去せよとは指示していない。」
「デマである。皆さんの名誉のためにもここに留まるように!」
一時は館内が騒然としたが、この一言で全員安心し、寝た。
東京の長男からは、200km離れているから何とかなりそう…
2号炉の燃料棒がむき出しのようで、国やマスコミは何か隠しているかも知れず、信用していない…
お父さんの方が原発に近いので、注意して…、と。
これは意外だった。
ちなみに、長男は原子力が卒業研究のテーマだった…
・施設の中で、暖房もついているが寒い。
寒さで何回か目が覚めた。
余震もあるが…
それでも、手足を伸ばして寝ることが出来るので、車中よりましだ。
3/15(火)
7:00 2班出発 ①災害対策本部車…大船渡市へ
②衛星通信車 …宮古市へ
③照明車 …待機(私)。
・21:00頃。
自宅にたっぷりのご飯があるのを思い出し、隣の谷口君に連絡。
・22:30頃、大き目の地震。
長男に、連絡すると、震度3との事。
3/16(水)
一日待機
・外は一面銀世界。
また冬に逆戻り。
・10:00頃、近くのマーケットへ行った。
30人程度の行列
待っている間、近くのおばさんと話してみる。
電気と水道は回復したとの事。
しばらく停電だったので助かった…、と。
いきなりテレビの映像を見たら、気がおかしくなってしまっていたかも知れない…
今は、とっても音楽を聴けない…
そう。大きなショックの後は本当に音楽を聞けない…
私も体験している。
この人の気持ちが、痛いほど良く分かる…
悲しい……
後ろの30代?の男性にも話を聞いてみた。
家は立っているが、傾いている。
中は、食器棚などが倒れて、むちゃくちゃだ。
古いしょっきが無傷で、新しいものばかりが割れているので、腹が立つ…
こんな状態なのに、私は待機しっぱなし…
無性に……
入ってみると、50m位Uの字に商品が置いてある。
無い商品は店員に伝えて持ってきてもらう。
レトルトの雑穀米とカレーを購入。
3/17(木)
一日待機
・13:00頃、この日もマーケットへ行った。
やはり、30人程の行列。
17:00頃 帰福
・後ろ髪を引かれるようだ。
待機していただけで、被災者たちに何の貢献も出来なかった…
3/18(金)
7:00頃 福井到着
9:00頃 自宅到着。
・当然だが誰もいない…
無気力…
とりあえず風呂に入る。
この一週間、結局風呂に入らなかった…
3/19(土)
・なぜか肉が食べたくなり、すき焼きをすることにした。
すき焼きとビール。 一週間ぶりの酒。
うまいが…
叔母さんに写メールしてみた。