MAKO’s日記

身の回りでの出来事

退院

2008-06-27 22:23:09 | 癌性腹膜炎

●昨日、妻が退院する、ということで阪大病院へ行った。
 午後、少しぶらぶらできると良いかな。
 妻のお父さんも誘って出かけた。
 11時半頃、着いた。
 軽く食事をして、万博後に行ってみよう、と出かけた。
 というくらい、元気だった。
 あちこち歩き回って、疲れてしまった。
 妻は、疲れただけで、体調は良いようだ。
 その後、帰りつくまでにちょいとあったが、問題なく、実家へ帰り着いた。
 午後10時半頃になってしまった。
 翌日は、日帰り旅行で朝早いため、このまま実家に泊まった。

 今日、朝5時頃に起きて、食事を取って旅行に出かけた。
 かなり元気だ。
 毛皮工場の見学、昼食。
 ビールがうまかった。
 午後は、京都へ移動し、平安神宮、清水寺を見てまわった。

 元気だった。

 いろいろ、書きたいことがあるが、疲れたので… 寝る。


思ったより元気な 妻

2008-06-15 20:09:00 | 癌性腹膜炎

●昨日、妻に会いに阪大病院へ行った。
 久しぶりのゆっくりとした土曜日。
 8時頃 出発を目指して準備していたところへ、突如 携帯がなった。
 めったにかかってこない携帯だ。 会社の現場代理人からだ。嫌な予感。
 8号線の赤萩付近に落下物があるから取りに行って欲しい、ということだった。
 事情を説明し、断った。 まだ、緊急の仕事は出たことが無かったのでちょっと悪いな、と思いつつ電話を切った。

 そんなこんなで、出発したのが8時半になってしまった。
 実は、妻のお父さんも行く、ということなので大野まで迎えに行かなくてはならない。 間に合わない。
 結構 車の流れがよく、9時10分に着いた。

 この後、証明写真をつくりにキタムラへ向かった。
 身体障害者の申請をするために…
 実は、事前に妻から、もしものことがあってからではどうしようもない、と とっておいたものだった。
 もうCDに焼いてあるので、現像?してもらうだけだ。 10分ほどでできた。

 10時半頃、高速に乗って大阪へ向かった。
 12時半頃、阪大病院に着いた。

 ちょうど昼食が終わろうとしていたところだった。
 半粥を食べていた。
 あまりおいしくない…、と言いながら何とか食べ終わった。
 体重は減っているようだ。

 みんなで、食事をとりに病室を出た。

 その後、私は妻のベッドの上で寝てしまった。

 ……

 妻の勝手な思い(主治医にまだ聞いていない)は、今度の水曜日(6/16)に免疫療法を行い、一週間後に退院だから、6/25か26になるかも…、ということだった。

 以外に元気だったのでよかった。


ネットワークシステム科

2008-06-07 23:06:59 | Weblog

 何だか、毎日がイベントの日?のようなこの頃である。

 次男が妻の見舞に行ってくれた。
 大阪なので、おいそれと簡単にはいけない。
 それだけに、ありがたかった…

 状況は後で知らせてくれるだろうが、何とか安定しているような感じだ。
 ひとまず、安心か…


 それとは別に、職業訓練の仲間たちの同窓会?があった。
 みんなどうしてるんだろう? 行ったら、熊さんが一人、何だか不安そう?(に見えた)していた。
 10分前だったが、誰も来ていなかった。
 私は、熊さんの状況はブログを通じてある程度分かっていた。 少し聞きたいこともあったので、いろいろと話していたところへ、「てつこ」がやってきた。
 この人も、日記を通じて少しだが、状況は分かっているつもりだ。

 いきなり、2人から「奥さん、どうなの」と聞かれてしまった。
 最近、このブログ書いてないな~、と反省してしまった。

 「もりタン」がやってきた。「相変わらず、えらが張ってるな~」と思ってみていた。
 自分で請負仕事をしているようだ。 いや、何だか商品を開発して販売しているようなことも言っている。
 すごいな!
 私は、サラリーマンしかしたことが無い。 夢のまた夢のような話である。

 いろいろ話していると、みんなすごい。
 普通以上の人である。 私だけ、普通以下?
 ちょっと考えさせられてしまった。
 自分で何かやってみたいが…

 結局、4人だけの同窓会になった。
 いろいろ、忙しいのでしょう。

 この次は、きっとみんなに合える、と期待して分かれた。

 


病状 急変

2008-06-04 21:10:22 | 癌性腹膜炎

●昨日(6月3日)、
 阪大付属病院へ入院し、免疫療法を受けるための詳細な検査を待つ、という状況で安心しきっていたところへ、  突如、阪大から電話が…。
 腸閉塞が悪化し、外科の先生に診てもらったところ、人工肛門の緊急手術をしなければ、1~2日の命になるだろうと…。

 一瞬、頭が白くなった。
 が、そんなことをしている間はない。
 「すぐ、大阪へ行く。20時半から21時頃に着く。」、と言い放して、そそくさと帰宅兼出発の準備をした。
 ちょうど、仕事が終わり、「さーーて、今日の夕食は何を食べようかなーー。」などとのんびりしたことを考えながら、煙草を吸っていたところだった。 17時半頃だった。
 緊急手術で、よく状態を調べることなく手術するので、リスクが非常に高い、ということだった。
 最悪のことも考慮しなければならない。
 妻のお父さんに連絡をとり、実家まで迎えに行くことにした。
 これで、1時間大阪に着くのが遅れる。
 病院側は、21時頃には手術が終わる頃だろう、ということだった。

 とてつもなく車を飛ばした。
 制限時速は全く無視。
 一般道路は80km/h、高速道路は120km/h で飛ばした。
 高速道路の途中で、ちょっと一休み。ついでに、夕食のつもりで軽く食べるパンを買った。
 車の中で食べようと思ったが、運転が忙しくて、食べている暇が無かった。
 阪大付属病院へ着いたのが21時半。 予定より30分落ち。

 車は適当に乗り捨てて、病室へ向かった。
 ちょうど、免疫療法担当の責任の先生とあった。
 「どんな状況?」 「腸の中身を出そうと試みたが、全くダメだった。しょうがなく、人工肛門の緊急手術に踏み切った。もう終わる頃だと思う。出血の量は少ないようなので、悪い状況ではないと思う。」
 それを聞いて、少し安心したが、まだ結果ではない。
 「とりあえず、外科病棟へ行ってみよう。」
 という事で、いそいそと移動した。

 ちょうど手術が終わったところで、担当した先生方が出てきた。
 「詳しく説明する。」 という事で、対話室へ通された。

 外科を担当された先生は2人。
 手術は成功した。 ということだった。
 状況は、元の癌が再発して大腸にとりつき、腸内を塞いでいる状況と判断した。 癌は拳大になっている。
 やむなく、人工肛門の緊急手術をした。 ということだった。

 腸に取り付いている癌を取り除くことはできないのか? と確認したら、 不可能に近いし、仮に取り除いたとしても他への影響が予測できない。寿命を縮めることになる可能性が高い。 ということだった。
 今後の、免疫療法にかけるしかない。 といわれた。


 手術後の妻に会いに行った。 比較的軽い手術だったのだろう、意識はしっかりしていて、少し笑っているように見えた。
 「ちょっと、予定より早く人工肛門になっちゃった。」 などと言っていた。
 やれやれ、また一安心。 よかった。

 その後、翌日の10時半頃までいて、帰って来た。

 疲れた……


大阪大学付属病院

2008-06-02 22:24:34 | 癌性腹膜炎

●金沢病院での治療は不適切との判断が出た。
 が、大阪大学病院へ問い合わせたところ、OKの返事をもらった。

 5/14 大阪へ出かけて、状況の確認と説明受け、手続きをした。

 今日、入院するということで、自動車で入ってきた。

 ちと、出発が遅れ7時30分頃になってしまった。
 何とか、10時に間に合わせるべく、高速をほぼ120km/h でとばした。

 5月に既に行ったので、道順は問題なし。 工事も無く、順調に行くことができ、何とか10時に大阪に着いた。

 ここでは、免疫療法を研究していて、臨床試験を受け付けていた。 この試験を受けることができた。
 週1回、12回、WT1 ペプチドを皮内注射する、というものである…。 だったと思う。
 疲れからか、うとうとしながら聞いていたので、あまり自信ない。

 これがもし効果があれば、ひと段落。 と思いたいが、状況はいささか不利である。
 まず、癌の状況は大腸を圧迫するほどに大きくなっている。
 一方、免疫療法の効果は、癌が大きくなる又は広がるのを防止する程度の効き目だ、ということである。

 仮に免疫療法が効いたとしても、腸を圧迫している癌が小さくなる可能性は小さいので、化学療法に頼るか、手術をするか、人工肛門をつけて過ごすか。
 手術は極めて難しいということである。 化学療法の効き目はあまり期待できない。 残るのは、人工肛門をつけて、癌と共生する…。
 結論はほぼ決まっているように見えるが…。
 ただ、今までの事例の中に、癌によく効いて、腸閉塞が解消されたことがあったそうだ。
 万が一の確率だと思うが、それにかけるしかない。

 順調に進んだとして、退院予定は来週の木曜日(6/12)である。