つむじ風

旅の途中でひとりごと

増え続ける社会保障費の姿

2019年11月06日 | Weblog

いい日が続いています。

 

今、私たちの社会は少子高齢化により、増え続ける

社会保障制度の在り方の危惧が問題になって久しい。

平均寿命の著しい伸びにより、医療費、介護、年金保障にと

莫大な費用が必要になりつつある。

そんな折、最近読んだ本の中で、登場人物の会話にさもありなんと

感じたところを転載しました。どう思われますか。

                   合掌

長寿は人間の夢です。長生きは目出度いことだと言われ、誰しもがそう固く信じて疑わないのも事実です。だから夢を実現すべく、研究者は難病を克服戦と、必死に取り組んでいるわけです。特に日本は、いち早く環境の改善に着手し、最先端の医療機器、治療法を現場に取り入れた。その甲斐あって、世界一の長寿国の地位を揺るぎないものにした。さらに国民の寿命も延び続けている。新薬の出現で、寿命はさらに延びるでしょう。ですがね、長寿という言葉の頭には大抵、不老という言葉がつくものです。長寿が可能になっても、老いは避けられません。老いを欠いた、ただの長寿に意味があるんでしょうか。

今の高齢者は昔と比べて元気だし、若々しくも見えます。ですが、日本の高齢者の大半は、現役時代の貯えも底を突き、生活の原資は年金だけ。外見はどうであれ、人間、齢を重ねれば体のどこかにガタがくる。時間に余裕がある高齢者は、何かといえば病院に行く。そして医者は乞われるままに薬を出す。それが日本の医療です。それもこれも世界トップレベルの社会保障制度が整備されている日本なればこそ。しかし、日本は制度を支えている生産年齢人口が年を経るごとに減少していくんですよ。その一方で、国の社会保障に頼って生きる高齢者が増加していく。深刻な問題ではありませんか。

高額の医療費を使って命を長らえる圧倒的多数が、老い先短い高齢者だということなんです。将来ある子供、若者、まだまだ過程を背負って働かなければならない壮年期にある人間が、先端技術のおかげで社会に復帰できるのはすばらしいことです。しかし、七十、八十になって、一昔前なら、難病で助からなかった人間を、ただ生き永らえさせるためだけに、途方もない金を使って治療する。そこにどんな意味があるんでしょう。仮にガンが根治できたとしても、老いを止めることはできません。体の自由が利かなくなれば、脳の機能も衰える。そこでまた、さらなる負担、それも莫大な負担を社会が負わねばならないことになる。

        「サリエルの命題」楡 周平 著より

 

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