霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

旧山陽道(福川から防府まで)

2009年04月18日 | 旧山陽道

2009年4月18日(土)
先週の続きで、JR山陽本線福川駅前から防府方面に向けて歩きだした。
福川駅⇒夜市川沿い⇒赤坂峠⇒椿峠⇒富海⇒橘坂⇒浮野峠⇒国衙⇒防府駅と辿り、約6時間の34,092歩だった。
椿峠は、これまで何度も車で通り過ぎたことはあるが、歩いて越えたのは初めてだ。峠のちょうど頂上付近に郡境碑(写真上)が建っているが、車で通り過ぎたのでは、ほとんど見過ごしてしまうだろう。「従是西佐波郡」「従是東都濃郡」と書かれているが、今の地名で言えば「従是西防府市」「従是東周南市」となるワナ。
富海駅を過ぎると、山陽本線は海沿いの狭隘地を走り、旧国道2号線は富海トンネルと茶臼山トンネルを、新国道2号線は防府第1トンネルを、更に、山陽自動車道と新幹線はそれぞれの大平山トンネルをくぐるというふうに、新旧の交通動脈がこの辺りに集中しているのも面白い。てなことを記した案内板が、富海トンネルの上あたりに位置する橘坂の途中に建っていた。
その先の茶臼山古戦場と書かれた案内板によると、大内家重臣陶晴賢の謀反で滅亡しかけた大内家を再興すべく挙兵した大内輝弘が、毛利軍の追撃にあって自刃したのがここ(写真中)だそうな。この写真ではちょっと見えにくいが、大内菱の家紋が入った墓石ではあるものの、西国一の大大名として毛利氏も恐れる程の栄華を誇った大内氏の末路としては、あまりに侘びしいものがある。
防府市の周防国分寺金堂(写真下)は、8年もの長きに渡る全解体修理を数年前に終わったところで、この大修理が終わってから初めて訪れた。改めて、その壮大さと細やかな建築美には、圧倒される。7世紀頃の聖武天皇の時代に、国分寺や国分尼寺が全国に設置されたとは、中学校の歴史の時間に習った様な気もするが、国分寺の建築物として現存しているのは全国でも貴重であるそうな。そう言えば、東京の武蔵国分寺跡も、昔ここに在ったげなと言う痕跡が残っているだけだったなぁ。



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