霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

白岡で、おいしい梨をいただいた

2007年09月02日 | 関東の旅(埼玉県)
⇒岡村家一族 2007年9月2日(日)
今日の「駅からハイキング」は、埼玉県白岡町の散策だ。JR宇都宮線の白岡駅から5分程歩いたところのバス停から、臨時シャトルバスに乗ること約10分。下大崎バス停で下車して、ここからスタート。
全竜時⇒皿沼遺跡跡⇒柴山沼⇒諏訪八幡神社⇒柴山伏越/常福時⇒見沼代用水路⇒JA南彩白岡農産物直売所⇒大山民俗資料館⇒住吉神社と、白岡町の北東部をほぼ一周する平坦なコースだ。ありがたいことに、途中二箇所で、お茶とおいしい梨(白岡町の特産品)のお接待を受けた。
皿沼とか柴山沼とか見沼とか、やたら「沼」が多いのに気付くが、名前の通り、分かっているだけでも縄文時代から現代まで、元荒川が度々流路を変えていて(文字通り荒れる川だったみたい)、その度に沼ができたようだ。元荒川と言う名もまた面白くて、「元」が付いていることから分かるように、江戸時代以前はこの元荒川が荒川だったのが、治水の為にこの川を利根川に付け替えたことで、荒川から元荒川に変更したようだ。江戸の経済を安定して支える為に、北関東の治水にもの凄い力を注いだことがよく分かる。荒川や元荒川の歴史を探ると結構面白く、かなりの紆余曲折があったことに驚く。
そして圧巻なのが、「柴山伏越」だ。江戸時代中期に造営した見沼代用水路を、漸く治水に成功した元荒川と立体交差させているのが、この柴山伏越で、案内板(写真上)を見てもなかなかピンとこなかったが、実際の元荒川(写真下)の川底の更に下を、見沼代用水路が実際に流れていることを信じるしかなかったのだ。見沼代用水路の入口と出口を両方とも実際に目視したが、確かにちゃんと水が流れていたのだから。更に驚くことに、この伏越と共に、見沼代用水を行き来する舟を渡すための掛樋が、元荒川の上に掛けられていたとのことで、江戸時代の人の奇想天外な発想には脱帽するしかないなぁ。

帰路もまた、臨時シャトルバスに乗って白岡駅まで戻る積もりだったが、なかなかバスが来ないし、そのせいで長い行列は続いているしで、白岡駅まで歩いて行くことにした。一時間半程度で白岡駅に着いたが、地図を見てみると、春日部まではあと二時間少々歩けば帰れそうなので、そのまま県道沿いに歩き始めた。結局、6時間余りの40,236歩と、久しぶりの4万歩越えだった。


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